2003/08/06旅行記--東北・仙台~青葉城、青葉通り
原文:
2003/08/06遊記--東北˙仙台~青葉城、青葉通
http://www.wayfarer.idv.tw/Japan2003/0806.htm
朝っぱらから荷物もって函館駅に行かないと。住友の玄関で切符を見たら、間違って覚えてた。08:00ではなくて08:48だ。これならまだ時間がある。うまいぐあいに陳ママが僕がドアを開けたときの音を聞いて出てきて、朝食をとってから行きなさいなというので、僕も時間があることだしいただくことにした。間を挟んで3夜泊まって陳ママとたくさんしゃべった。ママがどの客の面倒もよくみたいのを知った。でも僕は思うのだがママは結局一人で、手を離せないし、時間精力も許されない。みんなにアットホームにするのはとてもいいことだけど、全部の人の要求にすべて応じるのは難しい。ホテルのようなサービススタイルには及ばず、親切感が比較的ないとはいえしかし言葉が通じるのはとても大きな誘因だ。快適に泊まって、言葉の障害もなく、ヘルプも得られる。これは自由旅行の人にとってはとてもよい宿泊地である。みんなが住友を選ぶとしたら、その最初の動機は言葉が通じるからのはずだ。もし泊まりに来た人すべてにアットホームにするとすれば、各自の生活習慣に振り回されて、往々にして宿泊クオリティが不良になるだろうし、結果は逆によくない。これは陳ママと多くの過去の例を話した後に、心の中で思ったことだ。
食べながらしゃべった。時間を見ればそろそろだ。さよならを告げて、北海道を離れよう!今度の列車はちょっと疲れた。だって函館~八戸、八戸~仙台と時間がかかる。でも風景を見てうたたねしたのでつまらなくなかった。前に座った子供と顔の動きや手型で遊んだりもした。しかしちょっと残念なのは我慢できずに寝てしまってから、意外にもまた青函トンネルの出入りを見逃したことだ。ああ、残念だ!目を開けたときはもう青函トンネルは過ぎていて、本州の「津軽今別」に止まっていた。とても意味のある駅名だ。本州から北海道に行くときはここに停まらなかったと記憶しているが、ただ北海道から本州に向かうときに「津軽今別」はとても意味深い。そうだとも。さようなら北海道!さようなら津軽海峡!
さらにちょっと面白いことがあった。函館から八戸までは青森で乗り換えなくてすむのだが、進行方向が変わるのだ。だから席は逆向きになる。隣の日本人は僕に席を回そうと頼んだ。僕は2回目にやっと聞き取ることができた。目的地の方向は変わらないのに、列車の先頭が変わるのを僕は初めて見た。JR地図を見て、ああと納得した。
仙台に着くと、多くの人が下車した。仙台は今日から3日連続で、ちょうど僕が台湾に戻る8月8日まで年に一度の七夕祭りが開かれるのだった。しかし僕は本当にびっくりした。仙台と青森はもともと大差ないのだが、思いがけずも駅の規模は旭川、函館とは比べ物にならないほどで、相当大きな都市のようだった。後で知ったのだが、仙台は東北地方第一の大都市だったので、それは当然だった。七夕祭りのせいなのかCoin Lockerはどこも一杯だった。僕はJRの駅で探すのをやめて、前にある地下鉄駅で空いてるロッカーを探した。金額表示を見れば「2日目超過料金」と書いてある。2日も預けてられる意味はなんだろうと僕は思った。それはもちろん節約するためだ。そこで荷物をどうにかたたんで、背負いかばんだけにした(もちろん1日の着替えは入っている)。それからキャリアケースをCoin Lockerに入れて、明日仙台を離れるときにまた取りにこよう。
次は昼食をとる場所を探そう。台湾に帰る日はもうすぐだから、いまさら節約しなくてもいい。¥1600の定食を頼んだ。おいしく食べて、胃も十分に満腹になったたら、午後2時すぎになっていた。
ネットの友人が駅付近にある伊達政宗の「青葉城」跡を紹介してくれたので、僕は青葉通りを探し始めた。ちょっとして見つけた。もともと駅に案内標があったのだが、僕はまた迷って無駄足を踏んだのだ。青葉通りはしかし駅のそばの主要幹線道路だった。始めてみればとても近い。そのうえ腹一杯なのでちょっと休んでから、前に進んだ。ちょっと歩くと、30分で、遠くに天守閣と各城門の共通点であるところの鬱蒼と茂る樹木、一般街道より高い区域が見えた。心の中で間違ってなかったと思った。あそこだ。
博物館からさらに上へ進めば、両足は疲れるだろう。でも天守閣が僕を呼んでいる。僕はまだ休もうとはしなかった。絶対にたどり着いてから休むのだ。ついに案内図の「本丸遺跡」に着いた。うぎゃ!天守閣は?どうしてそれっぽいのが目に入らない?いちばん有名な「伊達政宗騎馬像」の場所で写真を何枚か撮り、またあちこち何度も歩き回ると、護国神社もそうじゃないらしい!最後についにわかった。もともと天守閣はないのだ。残念だ!この苦労は何のためだったんだ?日本人は現在城壁の修理をしているだけで、天守閣に至ってはいつになったら再現されるのかわからない!本当にとても遺憾だ!ないものはない。ちょっとぶらついてからやっと諦めて離れた。結局のところ古城の全部がうまく残っているような幸運なんてないのだ!
でも案内図を見た時、近くに東北大があるのがわかった。そんな有名な大学なら、キャンパスをちょっとぶらつかなければとても残念なことになる。そこで道路標示どおりに疲れた足を引っ張って、毅然として前に進んだ。おかしい、壁に囲まれたキャンパスがひとつもない。あっちこっち行って東北大学のいくつかの場所はやはりとても古いのがわかったが、東北大学XXXのような標示はなにも見当たらない。写真を撮りにくい。僕が東北大学に来たのを証明できない。でもあとでやはり見つかった。北海道大学と同じ様に、まばゆく目が覚めるような校門ではなかった。これが日本の大学の通例なのかどうかは知らない。キャンパスをぶらぶらして、サークル部屋前でギターを歌ってる学生を写真に撮ると、自分の学生生活を思い出した。自分の学校のキャンパスはとてもきれいだったので、だから別の学校のキャンパスの景観にも比較的注意していた。
僕は自分は本当にマゾだと思った。もう動きたくないのは明らかだった。それでも曲がって曲がってまた歩いて、やっと美術館前でバスを待った。しかしバスが来て見ると満員で、隣の女子高生の群れからまるで日本ドラマと同じような仕方ないときにする嘆声をした。それからわいわいがやがやと駅の方向へ歩きだしたので、僕も引き続き歩いた。だって次のバスだって乗れないかもしれない。特に今日は仙台七夕祭りなんだから人の波は必ずや多いだろうし。このとき午後5時50分。
そこで数分休んでバスを待って、僕はまた前に歩いた。僕は本当に自分の両足を褒めてやりたい、神!。盛り場のSun Mall一番街に着くと、わ!人の群れが湧いてる。和服を着た女性もたんといる。きれいな美人も多い!でも腹がとても減っていたので先に「ケンタッキー」で民生問題を解決したのは言うまでもない。同時に両足を十分に休ませることも出来た。精神と体力が回復するのを待ってから、やっとのんびりと気ままに人の群れの中を歩くことができた。
毎回日本に来て通りを見るたびに思うのだが、日本人の通りはなんでこんなに長いのだろう。最後まで歩けないのではといつも思う。僕は堅く決めた。必ずやさいはてまで行ってやる。だから特に疲れが溜まった。写真のぶらっさがってるあざやかな玉と帯は僕も形容できない。仙台市のいたるところで見られた。彼らの七夕祭りの代表物のはずだ。僕は幸いにもうまい具合に帰り道の仙台で彼らの年の大祭にぶちあたった。足は疲れてるが、でも日本人の祭りの時の熱気を感じることができて、僕は得した気分になった。最後には相連ねて中央街から出て行くが、実は大同小異だ。僕も七夕祭りの盛り場を歩いた後、地下鉄で道中庵に行った。
地下鉄駅で仔細に見ると、仙台の地下鉄はたった1本、泉中央~富沢しかなかった。道中庵がある富沢は意外にも最後の駅だった。片道¥290、往復¥580、やはり本当に高い。この地下鉄は全線たったの25分しかかからない。人口がとても緊密に密集して広がっている都市ではなさそうである。
富沢に着いてまずネットでコピーした地図を見て歩いた。でもYHの案内標示はあまりにも少なく、また空は暗く、街灯もとても少ない(来て見ればここは賑わいのある場所ではない)。だから僕もYHの案内標示に注意できず、道が違うのに気づいてまた駅に引き戻した。ほかの人に聞いて、また歩いて、でもまた間違ったような気がして駅に戻った。それから駅の中に道中庵の地図があるのに気づいた。僕はまた見誤った。こんどもかなり遠くまで行ってから間違えたのに気づき、あわててコンビニに救いを求めた。彼らはとても熱心に市街地図を持って比較してくれた。なんてこった!僕は意外にも逆の道路を歩いていた。僕がキャリアケースをもって来てないからいいようなものの、そうでなかったらあまりにも悲惨だった。(14日間で荷物を持たずに投宿したのは今回だけだった。本当に運がいい)。道をうろうろしてるとき心の中ではずっと罵倒していた。道中庵YHはどうして青森、富良野YHのように重要なポイントに案内標示がないんだ?僕に1時間前後も無駄に歩かせるなんて。しかも今日はそれでなくても歩き詰めだっていうのに!道に迷ったことを電話しようと思ったが、でも僕の日本語が通じなかったらと思うと怖かった。そうでなければとっくに道を訊いてただろう。歯をくしばって引き続き前進するしかない。それからやっと道中庵の案内標示を見つけた。ああ~。なんでこんなにとろいんだ。最初に歩いときの道で合ってたんだ。しかし一番重要な分かれ道には案内標示がない。天に訊いたところで答はない(*どうしようもない)。僕が20:40に富沢に着いてよかった。時間に余裕があったからだ(YHには10時までに着くと知らせていた)。もし夜もうちょっと遅くに富沢に着いていたら、知らせておいた10時を過ぎてしまい、彼らが僕をマナーのわからない人に思う可能性があった。
道中庵の門に着いた時、1台のタクシーが僕の前方に停まり2人の女性が出てきた。これも道中庵に泊まるらしい。やりすぎだ!YHに泊まるのは節約するためじゃないのか?あなたたちはそれでもタクシーに乗るのか?一番恨めしいのは僕が半死半生の状態で疲れてるときに現れたことだ。なんで僕と行ってくれなかったんだ!僕は本当に苦しくて言えなかった。言葉が通じないのは実にひどいというほかない。たとえ道中庵に着いても、まるで順調にやってきたかのように微笑むことしかできない!さもなければ何が出来るってんだ?今夜の探しあぐねは、僕の10日余の旅行の中で、もっとも悲惨な経歴となった。それでもオーナーが外国人には優待してくれて、日本人より¥200少なく徴収したので、僕の悲しみ苦しみはちょっと解けた。
もともとこんな辺鄙な場所に来る人はおそらくほとんどいないのだろうが、意外にもとても多かった。西洋人までいた。僕は泊まった部屋は僕を入れて4人。ほかの3人は日本人で、わずか16歳なのが二人。青森YHの彼のように「前途」は計り知れない。そのうちの一人は熱心に僕と話したがった。でも僕はとても疲れてたし、静かに話せるような感じではなかったので、だから富良野YHのようにはならならかった。でも少なくとも僕は知っている。すべての日本人が引っ込み思案ではない。やはり個性と関係があるのだろう。言葉をマスターすれば、情況は改善できるだろう。
道中庵の内部は悪くないようだった。ここも人数の多くないYHなので、もしYHで夕食をとれるのなら食べたかった。言葉もできる。談話室でしゃべれば、必ずや富良野YHのようになるに違いない。風呂をすませちょっと休むと、道に迷った不快さは霧散した。基本的にここは仙台で交通がいちばん便利なYHだった。YHに泊まるのなら、ここはやはり第一の選択肢だ。僕はここを推薦したい。道に迷わなければ、すべてOKだ。
今回選んだ四個のYHのうち、唯一TATAMIで眠れる場所だった。このため4人が寝ると部屋は布団でいっぱいになってしまう。そのうえ彼らはYHに泊まるベテランらしく、YHで渡される睡眠用品をどうやって使うのかを熟知していた。このことからも、日本人の観光旅行が盛んなことを再度証明できよう。
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