2003/08/05旅行記--北海道・登別~地獄谷、大湯沼,函館   


原文:

2003/08/05遊記--北海道˙登別~地獄谷、大湯沼,函館

http://www.wayfarer.idv.tw/Japan2003/0805.htm


泊まってるホテルは自由度がやはり比較的高く、自分の都合の時間に朝食を食べに行けた。この二日間はだいたい8時半ごろに食べに行った。列車の時間にちょうどうよく合わせたのだ。荷物を整理して、カギを返し、旭川よさようなら!

札幌へ行く電車内で、うまい具合に中富良野YHで知り合った蘇宜佳と同じ車両になった。そのとき彼女は写真を撮ってもらう人をちょうど探していた。そのとき僕は通路側にいた。でなければ見過ごしてかもしれない。そこで僕は彼女の別の側の席に座り彼女としゃべった。この車両は指定席なので、他の駅で乗ってきた乗客の席を僕が占拠するのを防ぐために、駅に止まってる間は僕は自分の席に戻った。このほかに車掌(台湾の列車長と同等)がもし検札に来れば、僕も元の位置に戻って座った。こうして行ったり来たりを数度すると、僕が座っていた席の日本人男性は好意で彼女と席を交換してくれた。そこで僕達は一緒に座って話した。僕は札幌で乗りかえるけど、彼女は札幌に留まる。でもこの話した時間はとても楽しく感じさせてくれた。これも旅行の面白い点である。こんなにうまく旅の途中出会った人とまた巡りあえるとは。

登別まで乗った電車は喫煙席に座ったので、空気は本当にひどかった。とくに南千歳で乗ってきた若者は、僕の隣で煙草を吸ったので耐えられなかった。僕は登別で降りたので良かったが、もし函館までだったら悲惨だったろう。列車を降りると解脱感がすこぶるした。先に荷物を預けたが、意外にも僕の荷物は¥300のCoin Lockerの小さな箱に入れられた。省けるものは省く。だからとてもうれしかった。しかしなんでまた今になって発見したんだろう?それから顔と手を洗って、身体にまとわりついたたばこの煙を除いた。

観光スポットを調べると、登別温泉街が重点なのがわかったので、さっさと12:28のBUSで向かった。約15分で着いた。さきに駅に戻る適当な時間を調べてから、別の所でどうやって歩こうか研究した。いいことに隣に外国人がいてずっと時刻表を見て頭を掻いている。僕は勇を鼓して彼に聞いた。彼は近くにある「伊達時代村」に行きたいらしい。でも時刻表にある記号の*と◎を彼はわからなかった。凡例は純日本語だったからだ。そこで僕は世話を焼いた。ただ対話の中で僕は意外にも日本語をはさみこんでいて、それもまた本当に面白かった。

このとき僕もどうやって重点を見るのか了解したので、この商店街に沿ってゆっくり歩きながら「地獄谷」を尋ねた(この前にまず腹を満たそうと、やはりラーメンセートを食べた。だから言ったようにラーメンの旅みたいだよね?北海道は本当にラーメンの地だ!)。僕が題目台に行って、観察台で写真を撮っとくれる人を探しているとき、またもうまい具合に僕が札幌から旭川まで行ったあの日に電車内で知り合ったあの3人の香港女性の一人に会った。その後別の所でほかの二人に会った。彼女達は登別温泉の無料案内(タダのガイド)ボランティアと写真を撮っていた。僕も機をうかがってボランティアを見つけて一緒にとった。得難いチャンスである。

とあるボランティアは熱心に僕達の行く付近の景色を説明してくれた。言葉は通じなくても、拒絶するのも心もとない。そこでそのまま道を上った。3人の香港女性がいたから良かったが、でなかったら言葉が通じないのできっとバツが悪かった。今思い出すと解説する人を連れていたのは本当に良かった。最初に僕達が連れて行かれた「薬師如来」はわきに多くの匙が並べてあった。もし僕一人だけでここに来たら、ぱっと見て去っていただろう。ボランティアはまず模範を示して、杓子で温泉を汲んで匙を洗い、それから匙で温泉を飲んだ。僕達4人もみんな飲んだ。僕はかなりうまいと思った。今日の天気は熱いけれど、でも温泉の水温はちょうどよく、直接飲んでも問題なかった。匙を日向に置いておくとやけどするぐらいなのに!それからボランティアが説明した。薬師如来がこの水で目を治す伝説があるのを。

それから木の桟橋に沿って「鉄泉」と言う場所に来た。わ!やけどしそうな温泉水がもうもうと噴き出している。人を煮る酷い刑を連想させる。とてもそれと似ている。林間歩道に進んだ。沿道でボランティアは植物の名前をひとつひとつ紹介した。僕はボランティアの日本語を消化できなかった。植物の名前はこれこれです。はい、はいと相槌をうった。あの3人の香港女性は演技がうまくて、とても面白そうに、聞き取れているかのようだった。ある女性はそのボランティアの説明が終わるたびに広東語でほかの二人と話を交わし、まるで翻訳しているかのようだった。その実彼女達はみな日本語がわからないのだ。よくごまかしてこのようにうまいことやっていたのだ。僕もちょっとは聞き取れた。ボランティアは日本人が死んだ後に天国の前で「三途の川」を通り、それから天国に行くか地獄谷に行くのか決まる、みたいなことを言っていた。これはボランティアが「三途の川」を紹介していたときのことで、意外な収穫だった。

「大湯沼」に関していくつかの問題を出されたが、僕達も注意してお互いに答を出し、ムードはさらに熱烈になった。だって題目は木の札の上に書いてある。日本語の文字が読めれば問題ない。こんなチャンスはなかなかない。日本語の能力を高めよう。大部分の時間、僕は「鴨が雷を聴いてる(*さっぱりわからない)」だったが、でも僕はやはりボランティアの説明は本当に良かったと思う!ボランティアが退勤する15:00になって、僕達も重点を歩き終わった。大湯沼、奥の湯などだ。最後に僕と3人の香港女性は大湯沼で一緒に写真を撮って、それぞれ別れた。

僕は引き続きまだ見てない行程である大正地獄に行った。くぼんだ温泉で、べつになんてことはない。写真を撮ってそのまま歩道をすすんだ。30分が過ぎて僕はまた地獄谷に戻ってきた。3人の香港女性と再度会ってまた別れを告げ、僕は森林歩道へ歩きに行った。この付近の見所も見終わってしまった。心残りはない!時間はまだ16:10だ。でももう見終わってしまったので早く出て函館に行くことに決めた。ある店で別の3人の香港から来た女性と会った。彼女達は今晩ここに泊まると言う。僕達は登別駅で顔をあわせていたのだが、このとき自然としゃべるようになり、そして別れを告げて、それぞれが次の場所へ去った。旅行はこうであれば十分だ。ひとつの点で交差し、そしてそれぞれが前に向かって進む。あるいはまた会うかもしれない。会わないかもしれない。そこが面白い!

登別温泉は夜になるや必ず人の波が沸いてくるだろう。だって多くの温泉があるのだ。夜はもっと涼しいし、温泉に入って気分もいい。台湾の廬山温泉と同じ様に、夜の涼しい風にお茶でも飲んでしゃべれば、人生の楽しみじゃないか!16:45にBUSに乗って登別駅に戻ったが、まだ5時なので食べることもならず、駅の中で旅行記を書きながら函館へ行く特急が来るのを待った。あるいは函館に戻ったら腹が減ってるかもしれない。街に出れる時間はまだある!

函館に戻って改札を出ると、突然函館がフィーバーしてるのを感じた。見れば多くの女性が和服を着ている。中央出口は一部修理されて、ぼんぼりがぶらさがっている。松風町前の広場でやっと函館開港144周年まつりのお祝いなのを知った。道理でフィーバーしてるわけだ!僕は荷物を住友に置いた後、そのまま広場へ行って見て回った。

お祝い行事の日程を見ると、5日連続で祭りをやり、今日はもう最終日だった。本当に幸運だ!熱のこもった活動をまだ見ることができる。和服を来た女性が多いだけでなく、奇異に着飾ってるのも多かった。しかし工夫を凝らして化粧をした結果なので、やはり見栄えが良かった。人の波の集まってるところを難度もぶらぶらした。範囲が大きくないので疲れなかった。夕食はここで解決する。たこ焼きと焼き鳥を食べた。どれも悪くない。このときも彼女達のまつりがどんなものなのか知らなかった。だってこれがもう最後の一日の2、3時間なのだから。見たところ我々の夜市のようで、しかし比較的まばゆい飾りがしてある。ん~。我々の元宵節のほうが似ているか。でも我々のような熱気はない。あるいはすでにフィナーレに近いからだろうか?

21:30に住友に戻った。陳ママと少ししゃべってそのまま寝た。だって今日もうららかな風光の下でずいぶん歩いたのだから。明日はまた早起きだ。だから身体を洗って、ちょっとテレビを見たらもう寝てしまった。


2005-11-13 17:54  nice!(0) コメント(0) トラックバック(0)

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