2003/08/03旅行記--北海道・中富良野~町営ラベンダー園、富田農場,旭川
原文:
2003/08/03遊記--北海道˙中富良野~町營ラベンダー園、富田農場,旭川
http://www.wayfarer.idv.tw/Japan2003/0803.htm
眠ってるとき、大型バイクできた日本人の友人は一晩中唸っていた。茂木はひとしきりぼりぼり掻いていた。どうしたんだ?僕といるのが恐縮なのか?後で分かったのだが茂木は蚊に苦しめられていた。不思議だが僕にはちっとも影響がなかった。日本の蚊は人がわかるのだろうか?僕が日本人でないのを発見して、「血液」が合わないのを恐れて、僕を刺さなかったのだろうか?
朝食は様式ビュッフェでチーズと生サラダだった。智子と智香は先に荷物を整理してたらしく、ちょっと遅くやってきた。だから一緒に座れなかった。でもあとで一緒に記念撮影をした。僕はこのファミリーの感覚が好きだ。彼女達二人の旅程は今日でおしまい。札幌まで行って車を返し飛行機に乗って帰るのだ。朝食が終わると、みんなも各自それぞれ次の行き先の準備に戻った。名残惜しい!茂木は僕より一足先に出た。彼はバイクで旅行してるのだ。行く前にわざわざバイクを降りて僕と握手して別れた。感動だ!
僕は今日ここを見て回るので、荷物をしばらくおかせてもらった。雨が大降りになったので、まず駅で雨宿り。駅で和子、仰志を見つけた。時間を間違えて次の列車を駅で待っていたのだ(中富良野は小さな駅で、だいたい1時間ごとに電車が通る)。そこで僕と彼らはちょっとしゃべり、各自雨が上がるのと列車を待った。和子が先に行った。仰志はまだ1時間いないといけない。雨も小降りになったので、僕達2人は町営ラベンダー園に行って見た。彼は店で時間を潰し、僕は自分の花を愛でるたびを始めた。
このとき雨は小降りにはなったが、油断はできなかった。傘が無いし帽子と防水ジャンパーしかないので、全身は絶えず雨に濡れた。でもこんなに濡れたのだからもうどうでもいい。花の写真をたくさん撮って戻って心残りがないようにしよう。ラベンダーとひまわりぐらししか知らないのだが。この町営ラベンダーには特色があり、花畑になかふらの(中富良野)の文字が浮かび上がるように切られていて、とても面白かった。いちばん高い場所に行って写真を撮り、遠方の山脈を眺めた。雨の中でちょっと休んでまた降りた。仰志はもう出ていて、彼にさよならを言えなかった。
それから富田農場に行った。この時は雨でもう全身ずぶぬれ。僕の帽子と防水ジャンパーの中まで濡れていた。富田農場もネットでよく紹介されているところだ。規模も確かにそんなようで、ここを見て回れば北海道の花期の旅も効果的だ。¥200のラベンダー味のアイスを食べた。ん!白檀油みたいだ。味は怪しいけど食えないことは無い。富田農場で見つけた記念Tシャツを買った。ここに来たのを証明するためだ。¥2415(税込み)払った。
それから気ままに畑をぶらついた。本当言うと僕は友人の寄こしたE-MAILで台湾の花畑を見たことがあるが、それに比べるとあるいはちょっと小さいかもしれない。でもどんな差も感じなかった。同じくきれいだ。いわゆる「でっちあげ」なら、両者の差は開いているかもしれない。でも僕はまた言いたい。台湾もうまく売り込めば、見込みがあるかもしれない。日本人は観光農園で金を稼ぐだけでなく、関連産品を使ってさらに金をすくいとる。感心しないことは難しい。目に入った花畑を歩き終わった。もう十分に見た。幸いにもみんなどれも「遠目で見ればいいが、近づいてみら失望する」の道理なのが分かった。花畑の歩道でアングルを決めて撮るだけだ(台湾人団体客も多い)。傘をさして雨の中で楽しそうにPOSEをとっている。もちろん、僕も俗っぽいのは免れない。これはしかし、この行程を計画した目的なのだ!
駅に戻って近くで食べたい。大雨はまだずっと降っていて、また歩いて食べるところを探す気はない。駅に戻って待ちながら身体を乾かそう。空腹の問題は駅の向かいにスーパーがあるから寿司を買って飢えをちょっと充たそう。じゃないとどうしようもなく疲れてしまう。食べていると、3人の香港人がいた。中学生くらいの女の子を連れてここに来た夫婦だ。僕は彼らと後でちょっとしゃべり、どのように見て回るか教えた。彼らもスーパーで昼食を買ってきた。食べながらちょっとしゃべった。案内所の人は彼らがこんなに早く戻ってきたので、驚いて駆け寄ってきて情況を聞いた(彼らは前に案内所の人に聞いていたのだ)、言葉が通じなくても、日本人はやはり彼らのサービスをとても気にかけている。
雨はまだ大降りだ。「彩香の里」はやめよう。旅行記を駅の中で書いた。僕のかばん、帽子、ジャンパー、ズボンはみんな濡れていて、駅の椅子の上にある座布団(これは日本人のすぐれた気配りのあるサービスだで、椅子が濡れるのを防げる。後で来た人は座りにくいが、座布団なら簡単に乾きやすい)。13:52YHの中公夫婦にありがとうメモを残して、荷物を引き取った後、この雨のやまない中富良野を離れることした。14:18のノロッコ号に乗り旭川へ。僕はまた乗車証明を一枚得た。車内のJR職員に「北の国から」の曲を訊いたが、残念ながら売ってなかった。僕は不注意だった。この列車は意外にも富良野~美瑛を運転するだけだった。だから美瑛に着くと列車は引き返してしまう。僕はまた引き続きのるしかなく、上富良野で乗り換えた(時間を調べたら、中富良野にまた戻ったらいちばん早い列車を逃すおとがわかったので)。15:58上富良野から旭川への電車に乗った。美瑛でさっきここで下車した人に会った(列車に乗るときは、だいたい人の顔を覚えてしまうものだ)。それらの人もどうやら前のノロッコ号が富良野~美瑛間しか走らないのを知らなかったようだ。
旭川に着いたが、北海道第二の都市の気概は感じなかった。駅の向かいには繁華街がある。買い物公園通りだ。長くまっすぐのびた道だが、道の両側の街灯が空模様がぐずつく中ぽつぽつと飾りを沿えていたが、このときもう雨はやんだのに路上を歩く人は奇妙に少なく、ちっとも賑わってなかった。あるいは北海道の人口はもともと多くなくて、札幌は人を集める吸引力はあったのだろう。だから旭川は想像したような活気がなかった。
地図で探すと、すぐにSUNホテルを見つけた。ホテルはやはり僕のネット上の予約記録を残していた。だからくれぐれも予約しておいて泊まらないなんてことはしてはいけない。台湾人のイメージを破壊するから。チェックインしてカギを受け取り、部屋に入ってみると、確かにスタンダードな洋式ホテルだ。よく眠れないYHに4日泊まったので、これならすごい満足だ。本当言うと¥5000で泊まれるのだからかなり割りにあう。装飾品とスペースを見れば、ひとりで泊まるのにだけ適してるようだ。あるいは旭川は一人で旅行に来る人が多いのか?旭川駅付近にホテルはまだたくさんある。買い物通りと横に交差している狭い通りには必ずホテルがあるのだ。だから美瑛、富良野でもし泊まれなかったら、3.40分列車に乗って旭川に泊まるのも悪くない選択だ。
ちょっと休んで、小さいかばんを持って外に出た。6時になったら夕食をとるのを決めていたからだ。買い物公園通りを見ると、「味の時計台」ラーメンチェーンが見えた。百年の歴史を標榜している。札幌では食べに行かなかったが、旭川でフォローできた。だからそこにはいって食べてみた。MENUで一番高い¥1200のラーメンを頼んだ。食べてみるとまあまあで、どれも大差ないようだ。次回はもっと安い野を頼んだほうがよさそうだ。
食べ終わってから明後日の指定席の予約をしようと思った。その時になって座れないのは避けたい。予約したとき、一枚は通路側で、一枚は喫煙席だった。自由席は席が保証できないので、僕はみんな同意した。切符売りの人は親切で、英語でも説明してくれようとした。事情は簡単なので、コミュニケーションがよく通じ、お互いに微笑んでbye-byeを言った。だから僕はいつも言うのだが、日本は非常に自由旅行に適した国だ。礼儀があって親切で道路標示がはっきしりていて交通は便利できれいで衛生的で治安は良好でそのうえ景勝地はだいたいJRで行けるしあるいはBUSが接続していて、便利なことこのうえない。もちろん消費がすこぶる高いのが大きな障碍だが、みなさんお金をたくさん貯めましょう!
買い物公園通りに戻ると、店もだいたい閉まっていた。Media Shopに行き「北の国から」の曲を探したいが、見つからない。テレビドラマのDVDならあったが高すぎた。僕は音楽を探したいのだが、値段もNT1000以上した。だからやっぱり台湾に帰ってから買おうと決めた。このほかに金庸の小説--笑傲江湖の日本語版を見つけた。とても面白い感じがした。
僕は習慣に照らして買い物公園通りを完走しようと思った(街灯に従えばいい)。でも最後の段になると店の明かりがなくなていたので、やめてホテルに戻って休んだ。ホテルは別払いで朝食を提供していた。うれしくなって朝食券に¥650を払った(先に買っておかないと食べれない)。こうして明日は安心して朝食を食べてから出かけることができる。
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