2003/08/02旅行記--北海道・美瑛~パッチワークの路,中富良野 


原文:

2003/08/02遊記--北海道˙美瑛~貼布之路,中富良野

http://www.wayfarer.idv.tw/Japan2003/0802.htm


今晩の相部屋はたった二人だったのでとても静かだった。いびきもしないし、11時の消灯後に出入りする人もなかった。JRの電車が朝早くに轟音を立てて通ったが、一人は早くに出て行きもっとよくなった。でもやはりとても疲れてるので5時半に起床したいとは思わなかった。07:20までずっと待ってYHの職員が朝食のアナウンスを告げると、急いで顔を洗い、朝食をとった。だって08:30の旭川までの特急に乗らないといけない。パッキングして、寝ていたベッドを点検して、シーツを提出して、荷物をもって別の目的地に馳せるのだ。さらば札幌、次に再会するのはいつになるかわからない。このとき本当に旅行の感覚を充分に感じ入った。

PASEOから札幌駅に入り、急いで改札に行き、乗車すると席の隣は香港女性だった。彼女達は全部で3人。僕はずっと旭川に着くまで彼女達としゃべった。彼女達の予定には美瑛、富良野もある。中の二人はいままでいろんな場所に行っていて、僕が行った釧路湿原、さらには僕がまだ行っていないわっ館内にも行っていた。僕は彼女達のガイドブックに押された「極北国土」の証明スタンプを見た。彼女達は函館に行きたがってるようなので、「住友」を彼女達に紹介した。

旭川で別れた。彼女達は部屋を予約してないので、美瑛、富良野に行くのはとても不可能だろうと思った。旭川ならチャンスがあるだろう。僕は計算して午後にまず美瑛に行くことに決めた。幸運にも美瑛に行く電車は又もノロッコ特別観光列車で、旭川~美瑛~富良野を走る。本当にすばらしい。そのうえ乗車証明書もくれる。旭川~富良野のキーホルダーは¥500だったので、記念に買った。

美瑛で降りた。ここで乗り降りする人はとても多かった。今日が土曜日だからか?荷物をもってJR職員に聞いて、美瑛の四季情報館にコインロッカーがあるのがわかった。100円の小銭がない。そこで自販機でジュースを買ってくずそうと思ったら、¥500だった。まったくやられちゃってるな僕は。館内の職員に直接くずしてもらった。彼女達は親切だった。僕が日本人じゃないことを見抜いても。

小雨が天から落ちてきた。でも僕は雨のせいで放棄するなんてできない。濡れるのもかまわない。どうせ帽子と防水ジャンパーだけではどうにもならない。風邪は引きたくないが。ここは自転車が安い。一時間たった¥200、5時間超えても¥1000しか徴収しない、とてもお徳だ。僕はUNO商店で借りた。人もよくて地図を書いてくれ、僕が行く方向のことをを教えてくれた。そこで11:25ご飯も食べずにまずパッチワークの路に行った。僕がまだ地図を見ていたとき、商店のおばさんが来て教えてくれてのだが、じつはちょっと難度が高く、道が見つけにくいという。僕は出発後ちょっとして入り口を間違えたと思う。だから見所はだいたい見た(一ヶ所だけ見逃した)けど順番はめちゃくちゃだった。でもこういうのもいいじゃないか。逆方向で回れば車は少ないし、轢かれるのも少なくなる。安心して歌もうたえる。

美瑛は丘陵地にある。ネットの友人にちょっと警告したい。自転車をこぐのはとても疲れる。だから僕は早くから警戒して、下り坂を見るとうんざりするだけで楽しくなかった。やはり坂道では降りて押した。疲れた!最初の目的地に選んだのは北西の丘の瞭望台で(正しくは最終ポイント)、逆方向から来たので、無駄に多く走ってきたことがわかった。ここに着くと本当にぐったりして吐き気がした。この瞭望台ではフラットな畑の中であきらかにまばゆかった。とても芸術感があり、視界もわるくない。雨がもっと降ってきたので、ここで雨宿りした。昼になった。そばで元気飲料を買って体力を補充、さらにとうもろこしに塩をかけたのを食べたら、うまかった!だから僕の昼食はこの2本のとうもろこしになった。

さらに前へ進んでマイルドセブンの広告にあった「七星の樹」とやらを通った。見終わって心に思った。「なにが特別なんだ?」これは日本人がやりすぎで作った観光吸引力ではないのか?「美田小学」を通ったときに奇特に感じた。この学校の地球上の経緯度が表示してあって、記念写真にもなってる。「親子の木」につくと、2本の大きな木と1本の小さな木があってこれもわざわざ見所にしている。日本人には本当に感心した。しかしパッチワークの路は美瑛公認の必ず観光する場所だ。たとえ名所がどうってことなくても、見て回らないのはダメだ。でも村の間の田園景色がほとんどなので、心はほがらかに気分がよくなる。この区間では多くの黄色の稲田を見た。あるいはこれも島嶼区なのかもしれない。台湾の緑のつやつやした稲田とは明らかに違う(*じつは麦畑)。

漕いで漕いで有名なKen&Maryの大樹にやってきた。同じ様にどうってことない。なんで有名なんだ?(僕が台湾に戻っいて本屋で見て知った。もともと日本の車メーカーが2人の外人を見つけてここで広告を撮った。男がKenで、女がMary)日本人に言わせればこれも見所なのだ。木のわきには教室があった。僕は出ようとしたが、でも教室の中から小樽運河で聞いた「北の国から」の音楽が聞こえてきたので、僕は足を止めて聞いた。小雨の中で僕は音楽にしたがって落ち着いて静かな、ポエムな境地に浸った。そのとき僕は心の中で決めた。どうやってでも必ずこの曲を見つけだす。僕はホームページを作っているといき掛けっぱなしにしている。この音楽が僕の旅の途上の美しい記憶を伴っているからだ。幸運にもそれから富良野YHで会った台湾から着た蘇宜佳が、僕がうんうん唸ってると、彼女はすぐにこの曲の名を教えてくれた。そのとき本当に僕は喜んでやまなかった。曲名を見つけられないのではと恐れていたからか。聞けば富田農場でもいつもこの曲を流しているという。「北の国から」は日本で20年放送しているテレビドラマだとおいう(1983~2002)。わたしがどんなに浅学で見聞が狭いか知れよう。

その後、僕はずっとめまいがいしていた。意外にもそのままKen&Maryの下り坂に突進して、確かにとても愉快だった。「快なるかなこの風」の気持ちよさがとてもあった。結局当然ながら、帰りは自転車を押して「爽やかに顔を歪めた」!

パッチワークの路が終わり、美瑛駅に戻ったのは15:45で時間はまだ早い。そのまま付近をまわり、美瑛町役場(台湾の鎮公所のようなもの)で記念写真を撮った。そして駅の隣の電話ボックスで電話を2本かけた。一本は旭川のホテルで明日Check inするおおよその時間を知らせた。一本は富良野YHで、夕食にありつけるか確認をした。YHが僕の夕食を用意してくれているのか疑いは晴れた。結果はとても順調で、日本語はやはりかなり進歩している。僕はこれ以後電話連絡する機会があっても他人を困らすことは少なくなった。富良野YHの夕食予約は19:15にしておいた。昼食では足りなかったので7-elevenでから揚げを買って胃袋を満たした。自転車を返し、荷物をもって、17:03の電車で富良野YHに向かった。

17:29中富良野駅に着いた。地図で道を探した。道を間違えてやっと正しい路を歩いた。一般的にいわゆる富良野の花期の美景は中富良野のことをさす。「彩香の里」「富田農場」もみなここにある。中富良野駅から出て右に「花人橋」という名の歩道橋がある。これを通って上述のすばらしい場所に行くのだ。僕が今晩止まるYHはこの橋を通って着いた。歩きに歩いていると、ある日本人が大型バイクに乗ってやってきて道を聞かれた。日本人でないことを告げると、彼はすぐに去っていった。でもYHに着くと、彼も富良野YHに泊まる観光客だというのがわかった。しかも隣のベッドだ!本当に縁がある。彼と僕は微笑んで挨拶をし、それから前後してCheck inした。

富良野YHに止まれる人数は多くない。15人だけだ。だから北海道の花期に部屋が予約できるのは並大抵なことではない。僕のように3ヶ月前に予約しても一泊しかとれなかった。宿泊可能者が多くないので、ここは中公夫婦二人が経営している。朝と夜の食事が無料という得がたいYHでもある。顔を出して挨拶したのは女主人で、親切だ。同じ様に2枚のシーツを受け取った後に指定の部屋に行った。一階に二人、屋根裏に三人泊まれる。遅く来たので上に泊まるしかなく、荷物をもって高い梯子登るのは骨がおれて、自分でもちょっと笑ってしまった。階の上には先に着いた日本人茂木宏文(群馬県)がすぐに僕と挨拶をした。わるくない始まりだ。朝晩の食事は僕達みんなで一緒に食べた。でもそのときはまだよく知らなかったので、どこから来てどこへ行くのかみたいな話しかしなかった。

YHの夕食は本当に簡素だった。おそらくあなたの胃袋は満たされないだろう。たまねぎのリゾットみたいな類だ。もちろんぼくはそれでも食べれてとてもうれしかったし、全部食べてまた半分おかわりした。だって本当に腹が減っていたのだ。女主人に教えてもらって食べ終わった後にみんなで食事を片付け、食器を洗って乾燥かごに置いた。僕はYHの教育は本当にいいと思う。みんなすべて協力を守った。大学時代のサークルの団体生活に戻ったかのようで、とても暖かい感じだった。

夕食の後が思いがけずYHに泊まるポイントだった。夕食を食べることにした当初の決定はやはり正しかった。夕食が無料だからではない。E-MAILでやりとりしたときに主人の強烈な誠意、泊まりに来た人がみんな夕食を食べれるようにしたいと思ってる、を感じた。だから僕は夕食を食べることを決めたのだ(これは僕の14日間のなかで唯一一度宿泊地で食べた夕食だ)。さもなくば僕は夕食時間は観光地にいたかったから、夕食を食べるために宿へわざわざ戻らなかっただろう。

友人と交わりたい、旅の途中で他人と触れ合う経験は、人とコミュニケーションを望む心があり、身近になってやっとできる。このYHにたどり着くのは容易ではない。夜も出かけられる場所がないので、知り合って友人になる良い機会になる。しかもとても自然になれる。となりで他人が遊んでるの見てたら、いつのまにか一塊になって遊んでるのだ。まずは言葉のやり取りに問題のない台湾人蘇宜佳。とても活発で、日本語はちっとも話せず、英語で通す。すでに4回日本に来ている。彼女はおとといから一緒に泊まっている近藤和子(静岡)、大川智子(神戸)、竹田智香(大阪)、陳仰志(シンガポール)とすでに仲がよくなっていた。そのとき彼らは日本の花火で遊んでいたが、とても不思議だった。僕はどこで火をつけてるのか見て分からなかったのだ。とまあこうい風にして見知らぬ人が仲よくなって行くのだ。一緒に遊んで、一緒の写真を多く撮って、言葉は通じなくても、でも写真でPOSEをとれば、不思議なことに、お互いに長い知り合いと同じようになる。とても面白い。

その後彼らはテーブルに戻ってだべったり、おやつをたべたりした。物は蘇宜佳、智子、智香が前に駅前のスーパーで買ったものだ。僕と茂木は新参だったが、でもだんだんと長い夜のうちにどうでもよくなった。こうやってだいたい20:00~23:00の3時間だべった。とてもふつうの雑談だ。よく知っている友人と一緒に入るのと変わらないほど。僕は日本人の友人になったことがわかり、日本語の進歩も特に早くなって、言い方のわからない字は教えてもらった。YHに泊まっているせいか、みんな比較的開けっぴろげに友人になった。さらに輪になって一緒にしゃべったのだから。このときは英語で話しても障害にならなかった。はっきり聞き取れなければまた聞き直せばみんな通じた。でも4人の日本人のうち和子と智子は対話で比較的勇ましかった。距離の関係で智子とは比較的多くしゃべった。こんな感じの雑談は大学サークルで遠出した「星夜談心」と本当によく似ていた。

実は彼らは日本に多くある有名観光地のほとんどに行っていなかった。これはとても自然なことだ。台湾人だって台湾に多くある観光地の多くに行ったことがない。僕がいくつかあげた場所を、智子がみんな日本語の言い方で直してくれたのは楽しかった。印象深いのは大阪城の豊臣秀吉、ドラえもんだった。吉岡海底の写真をデジカメで見せた時、ドラえもんの各登場人物の日本語読みがよく聞きとれた。収穫、満足を感じた。だって「とても大好きドラえもん!」

そして僕も写真を贈るために彼らのE-MAILを書きとめた(デジカメは本当に便利だ)。3つYHに泊まって思うにYHに泊まる目的のひとつは外国の友人と知り合うことだ。たった3時間のだべりでも、旅の途中では得がたい経験だし、僕の14日間のなかでも一番記録に残った時間でもあった。

だべるのはとても愉快なのでみんな風呂に入る時間を過ぎてしまった。でもそれがなんだ。一晩だけじゃないか!知り合った新しい友人と集まって最後までだべりに参加しないことの方が悔しい。英語日本語を練習できるまたとない機会だ。どうしてパスできる?どうして徹夜で雑談しなかったのか?それは自発的にYHの消灯時間(23:00)をお互いに守ったからだ。明日には各自それぞれの計画があるのだから、潮時を見て引き下がるのも悪くはない。


2005-11-11 21:57  nice!(0) コメント(0) トラックバック(0)

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