2003/08/01旅行記--北海道・小樽~運河、天狗山
原文:
2003/08/01遊記--北海道・小樽~運河、天狗山
http://www.wayfarer.idv.tw/Japan2003/0801.htm
起きて身体を洗い、斬新な一日を迎えた。もちろんまだグロッキーだけど、どうしようもない。これも一種の体験なのだ!朝食のスタイルは大差ない。飽きるまで食べて体力を増強した。よく眠れなかったので、予定を30分早めて小樽に行くことにした。まずみどりの窓口に行き明日の旭川までの指定席を予約し、ホームに出て小樽に行った。とても疲れてるので車内では目を閉じて静かに休んだ。窓の外の風景も見逃すしかない。YHに泊まるのがいい事か将来は慎重に考えよう。
眠ってるうちに小樽に着いた。改札を出てまずは札幌に戻る列車の時間を見た。案内所で資料を手に入れた。天狗山ロープウェイの割引券なども手に入った。みんなに教えたい。日本は観光に対してとても気を使ってるので、どの観光スポットにも案内所がほぼある。もし現地にどんな観光地があるのか詳しく知らなかったら、案内所に行けばだいたいは手に入る。幸運なら割引券も手に入れて節約が出来る。僕のようにその日に天狗山ロープウェイ割引券¥1000>¥800を得てちょっとした節約が出来る。
地図を見て、まず一番有名な小樽運河に歩いて行った。小樽駅から運河までの歩道はわるくない感じだった。片道だいたい20分くらい、それから行きたい場所を見る。むかしの小樽は有名な港で、多くの明治大正時代の建築は古典美がある。この区間で赤信号にあった。僕はとある石段の上に座って、信号を待った。ある女子が英語で写真を撮ってと僕に頼み、さらに僕に道を聞きはじめたので、あわてて僕は日本人じゃないよと言った(もし道を聞きたいなら他の人を探してくれと言う意味で)。そして彼女はカメラを取り出した。たとえ彼女の言ってるのがインドの土語だとしても、僕も何をするのかわかった。僕は彼女は華人じゃないのか、僕は自分が台湾人であることをざっと表明したら意思疎通が出来るんじゃないか、と思った。でも彼女はなんの反応もしない。短い受け答えの中で、僕は彼女の英語がさっぱりわからなかった。しばらくして彼女の持っているガイドブックでやっと意外にも高麗仔(*韓国人)だと知った。それなら写真を撮るだけだ。この先この地球上で出会うことは永遠にあるまい。
小樽運河は実はとても短い。目に明らかな有名な散歩エリアだが、だいたい10ぷんで歩き終わる。道を間違えて知らない場所に行ってしまった。運河が目に入らないのでおかしいなと、また一回りしてやっと有名な浅草橋(東京のではない。小樽運河の橋だ)に着いた。写真を撮った。時間が早いが(11時近く)、ここで多くの時間を潰すつもりはない。そのうえまた台湾人団体旅行客の一群がやってきた。僕は退避した。(なんだって団体旅行に参加する台湾人観光客の気が知れない。見れば田舎もんじゃないか。いつでも笑いの種になりそうだよ)
駅前のBUS停で¥200区間の切符を買い、天狗山を見に行った。(一日乗車券は¥750、僕は往復するだけなので¥400しかかからない。その後にまたBUSを使うつもりはなかったから、一日乗車券を買わないのは割に合う)。なんで天狗山になんか行くのか?ネットの友人の紹介でもない。「名探偵コナン」のアニメで前に天狗山の話が出てたのをぼんやりと覚えていたので、行くことを決めた。25分乗って着いた。山道までさらにロープウェイに乗って上にあがった。やはり小樽市街の全体縮小風景を見ることができた。昼なのでここの展望台レストランで食べた。ここで昼食をとりながら風景を眺めよう。内容はやはりラーメン。違う味のにしたい。腹を満たしたい。だからラーメンセットにした(ご飯半分と2個の餃子つき)。不思議な組み合わせだね?どうせ腹を満たしたいだけだ。美食が目的じゃない。
民生問題は解決した。人の三急はどうしても処理しないといけないことだ。なんてきれいなトイレだ!本当に気分よくさせる。台湾の名勝地のような異臭、ウンコカスではない。ここはトイレットペーパーも備えてある。しかも3つもだ。使うのを恐れなくてもいい。台湾ならぜったい有料なのを知っていても!(もちろん日本でも全部が無料ではない。外でティッシュを売っているトイレもある)。ここで特に書いておく。便所の比較ではない。中文繁体字で『要把衛生紙丟入馬桶,其餘的不要丟入(*紙は便器に捨てよう。ほかのものは捨てるな)』と貼ってあるのを僕は見た。これにより台湾人の台湾での習慣を知ることができよう。日本に来たら多くの注意をしよう。ほかの人が困ることのないように。
よろしい。すがすがしい気分になった。天狗山の隅から隅まで見て回ろう。実はこの山は冬はスキー場になるのだ。ここには大きくて長い鼻の猿田彦山神がお供えされている。神社には解説がある。でも面白くない。伝説を読んで、写真を撮ればそれでいい。森林歩道で散歩できるのを見た。1.3キロ。ならばと歩いた。おそらく歩いた人が長い間いないのだろう。意外にも道はクモの巣でさえぎられていた。やってられない。さらに大アオバエも飛びかっている。大便なんか見かけないのにどうやって生きてるんだ?どうして蠅はこんなにでかくてたくさんいるんだ?この道は特別な事はない。ダートの道だ。風景も値打ちはない。だから僕のような歩くのを愛してる観光客以外がここに遊びに来るのが少ないのは当たり前だ。でも幸いなことに「山頂」には標識が立っていた。僕がすでに「山頂を攻めた」(天狗山頂、標高532.4m)ことを示すために、記念写真を撮る価値がある。あたりをぐるっと歩いてみたがなにもない。幸いにも別の方向に表示板があったので、僕はそこにカメラをおいてセルフタイマーで記念写真を撮ることができた。そうでなかったらとても残念だったはずだ。
シマリス(花栗鼠、台湾に戻ってから本屋で知った)の飼育場がここにあった。北海道のみにいると説明がある。シマリスの様子を見ると、完全に怖がっていない(日本の動物はどれも人を怖がらないようだ)。僕は中に入って観賞した。シマリスたちは僕の太腿によじのぼり、それからいたるところを駆け回った。歩くときはシマリスを踏まないように気を付けないと。もうだいたい見て回ったなと思ったが、小樽市内に戻るにはまだ早い。展望台レストランに戻って、眼下の風景を俯瞰しながら、片隅で旅行記を書いた。体と精神を時間をかけて回復させた。7日目の旅は調整だ。それもまたよし。15:40おしまいまで書いて、別の場所に向かった。
時間配分がちょうどいい。ロープウェイの後にすぐバスに乗り継いだ。このため山麓で最後の名残をして印象を深める事はならなかった。小樽駅に戻り、朝と同じく中央通を歩いた。でも小樽都通りに来た時、入り口に運河の浅草橋に通じていて、そのうえ榎本武揚がこの通りの代表人物だと書いてあったので、この通りに入った。とても新しく、おそらく完成してまもないのだろう。だからむかし来たネットの友人はここを知らないかも知れない。
左に曲がって歩いてほどなくすると、廃線が見え。手宮線だ。標識の上にはこの線路の説明がしてあって、北海道最初の鉄道で1880から1985まであった。1880.10.24にアメリカから蒸気機関車の弁慶号を輸入し、同年11.28に手宮~札幌間の運転を始めた。そのうち現在も残ってる駅は南小樽で、小樽市の遺産となった。小樽は小さな地方だが、観光発展に力を注いでる。台湾なら埋没してるだろう。しかし日本人は廃れた資産を観光スポットに仕立て上げて、観光財にしてしまった。日本最初期の3本の路線は新橋~横浜、大阪~神戸、手宮~札幌で、上等席は当時わずか¥1だった。
浅草橋まで歩くとやはり多くの人が写真を撮っていた。そのまま運河の後は小樽倉庫No.1(ここは聞くところでは小樽ビールの名になっているらしい)、小樽ナニコレ貿易(大多数はガラクタの怪しい物で、でもとても珍しい)などをぶらつき、どの場所も歩いて見るとかなりいい。小樽運河に沿ってひとまわりすると、まだ空は暗くならない。僕は前に進んで「北一硝子」を探しに行った(ガラスである。哨子ではない。玻璃製品の意味だ)。ネットの友人が教えてくれたぐらいだから特に有名だが、近くにある「大正硝子」と比べると実は大差ない。評判が足りないのかもしれないが。北一硝子は本当に大げさだ。ずらっと並んで5号店まである。どの家もまた大きい。僕はガラス製品を特に愛好してないので、純粋に中に入ってにぎわってるのを見れば十分だった。つまり北一硝子の規模はとても大きかった。北一硝子には美術館のようなものだ。
それからネットの友人が教えてくれた北一硝子付設のアイスクリーム屋を見た。僕は行って買って食べようとした。なんだこれは!僕はアイスを食べるのが好きじゃないんだろう。なんでそんなことを聞く?ここで売ってる値段はまだ受け入れられる。僕は6段のアイスを買った、6種類の味だ。ラベンダー、抹茶、夕張メロン、小樽ワイン、特濃牛乳、生チョコ。¥450だ。うまい。食べ終わってあちこち歩いたら7時になって腹も減った。小樽運河食堂(浅草橋のわき)に入ってラーメンを食べた(ラーメンの旅にすばやく変わったな)。名のある食堂で、もちろん食べるのがメインだ。だから見て回るところではない。食べ終わって浅草橋に着いた。
わ!夜の小樽運河は美しい。ムードも本当にいい!人の波はまだおさまってないが、わるくない夜景を撮った。橋の上には老男性がバイオリンを弾いて金を稼いでいた(ストリートパフォーマンス)。のんびりとして柔らかい音楽、そのうえ運河と夜のかすかな街灯の光が流れる水の上に映えて、気温も18度とちょうどいい。さわやかな夜。それぞれが合わさってロマンチックな小樽運河を作り出している。老男性はバイオリンでこの後僕がずっと懐かしく思うことになる音楽、北の国からを弾いた。そのとき僕はただこの音楽はロマンチックな小樽と合わさってかなりいいなあと思っただけだった。だから内心深くに記憶したままで、曲名はそのとき知らなかった。また後で話そう。
このときまたも多くの団体旅行の台湾人観光客がここに来て見て回り、写真を撮った。僕の個人撮影は台湾同胞にとってもらった。でもそれを知ったのは撮り終わった後だった。だって僕は日本語で彼に頼んだのだから。でもその後僕は何も言わなかったので、彼に日本人でも大丈夫だったと誤解させたか、あるいは日本人に写真を撮ってあげたんだと帰って吹聴したかもしれない。ハ!彼らはちょっとしか歩いてない。これが団体旅行の不便さだ。だって時間が来たらバスに乗らないといけない。僕のように美しいムードのなかで無料のバイオリン演奏(金をあげるもあげないも自由だ)を聞く事もできないのだ。でも僕は拍手まで惜しんだわけわけじゃない。僕の後にいたほかの人は一曲聞き終わると拍手をしたので、ムードの熱気をさらに高まらせた。小樽運河の夜は、本当にいい!
20:20老男性は弾かなくなった。バイオリンを収めた。おそらく人が少なくなったからだろう。地方なので人は多くない。この時間はまだとても早いのだけど。僕もやめて早目に戻る事にしよう。満足した旅行者のように、リュックを背負って、軽やかなステップを踏んで前進した。小樽都通りから中央通りに曲がって戻ると、小樽都通りはもう人がおらず、店もほとんど閉まっていた。電器屋だけが一軒、10時まで灯りを付けている。がんばれ!あなたの商売に祝福あれ。
札幌にもどる電車の中で、静かに窓の風景を見た。思考はない。これも一種の泰然自若だなと思った。旅はまだ終わらない。僕はまた次回も日本の旅を計画したい。札幌に着くと、電車に乗って小樽に行く人が多いのがわかった(家に帰る人のはずだ)。比べて見れば雲泥の差だ。大都市は夜遅くまで住人が留まっているようだ。あるいは今晩の札幌では何か催し物があるもかもしれない。だって札幌駅には和服を着た少女が多く見られた。とてもきれいだ!でも急いでYHに戻って風呂に入ったので、よくわかrなかった。札幌は確かに大都市のようだ。10時過ぎてもまだうるさいほど賑やかで、レストランでも多くの人がまだ夜食を食べて、雑談していた。
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