2003/07/29旅行記--北海道・函館~大沼公園、五稜郭、函館山   


原文:

2003/07/29遊記--北海道˙函館~大沼公園、五稜郭、函館山

http://www.wayfarer.idv.tw/Japan2003/0729.htm


ここも目覚ましがなかったので、僕は太陽の光で起きるしかなかった。とても順調だった。函館駅へ向かう途中で写真をちょっと撮って、それから函館駅のみどりの窓口で明日の札幌までの指定席を予約した。

住友では朝食を出さないので、ホームで「鯨」弁当を買った。開けて食べてみると、口に合わないのがわかった。生で冷えていて、ご飯も冷たくて硬いのでちっとも喉を通らない。大沼公園に着いたときには僕はもう食べ終わっていた。非常に完璧だ。

駅を出てマップをちょっと見たけど、よく理解できない。駅の向かいにレンタサイクルがあるようだ。たぶん需要があるのだろう。でなければどうしてこれで商売できるんだ?行って値段を聞くと、わお!1時間500円。罰当たりだ!台東の関山あたりだと1日NT100だぞ(*日本円にして約350円)!すぐにその場を去った。おかしい事に道を間違えた。よく知らない場所を歩いて、記念写真を撮った。そうやって20分ほど費やし、もう一度レンタサイクル屋に戻ったのは¥1000(2時間しかいれないと予想した)をけちって大沼公園の遊覧をミスりたくなかったからだ。そこで09:20僕は自転車に乗って大沼公園を周りはじめた。

最初、僕は意外にも右側を走っていた(習慣になってる)。赤信号で待ってるとき別の車を見たら、ここが日本なのを思い出した。急いで左側に寄った。漕いで漕いでると、おや、逆向きに走ってる自転車が道を聞いてきた。えっ、どうして社長も北海道に一人で来て自転車に乗ってるのですか?ああ、僕はまめいがした。社長に似てる日本人というだけだ。社長は日本に叔父さんのようなのがいるのか?

引き続き前進する。涼しい風にスピードがあり、さらに道路の緑の美景もあって、本当に心が晴れ晴れとする。路上で自分撮りするチャンスがあったので、僕もいろんなスタイルで記念撮影できた。この時社長が急いで僕を追い越した。でも僕に挨拶をしなかった。彼の乗り方はとても変だった。ブレーキにでも問題があるのだろうか?社長、どうして足でブレーキをかけるのですか?自転車に乗った事がないわけでもないですよね?後で僕も恥ずかしながら社長を追いこした。道は広くないのだ。その後湖が見れる場所に入ると、わきにルーフ型の車が止まった。僕も自転車を止めてに見に行った。ラッキー!北緯42:00の碑があった。いい記念碑だった(後でこれも観光スポットだと知った)。ちょうどそばには2人の若い美人がいる。高校生か大学生のようだ。そのうちの一人はとても甘美で、だから僕はもちろん彼女に僕のカメラを手渡した。でも不思議なのは、どうしてこんな年頃の女性に写真を撮ってもらったのか。吉岡海底の中年婦女と同じ様に、アングルはよくなく、2回目の後にやっと成功した。でも僕は彼女の身振りからカメラを「横」にして撮るとき、日本語では”よこ”と呼ぶのを学んだ。(僕は横に撮るのが比較的好きだ。見るのが簡単だし、向きを変えなくてもいいから)。これは素晴らしい収穫だった。だってこの先10日間、僕が”よこ”を使う機会はまだまだとても多いだろうから。うう、ありがとう!しかも彼女も僕が日本で出会った3人の美女の中で一番だった!

この後も引き続いて前に向けて走った。心もずっと愉快だった。¥1000の値打ちはあった!路上で大声を叫んで愉快な心を表示したかった。でもここは国定公園だ。いたるところに「鳥獣保護区」の看板の標示がある。動物達を騒がせるのを恐れ、やめるしかなかった。でも小さな声で唱歌を歌えば影響はないはずだ!

社長と僕は縁がある。彼は僕と多くは接触したくないようだったが、たぶん体力的に卑屈なのか、それとも道を聞いた時に僕を変人だと思い、回答が不満だったのか?このことで僕を責めることはできない。僕は日本人ではない。あなたが言った言葉はまったく聞き取れなかった。周遊ルートはこの道なのかどうかをあなたは訊いたのだろうとだいたいわかったことは、すごいことなのだ。間違った人間が通り過ぎるときに挨拶しても答えないとはどういうことだ!それとも日本人の習慣にないのか?わけがわからん。でも返してくる人もいるのだ!台湾でこういうシチュエーションだったら、互いに挨拶して楽しいことになるだろう。

走り終わったとき(16キロ)大沼公園の歩行ルートエリアを見かけた。惜しいことに時間が足りない。だから半分のルートしか行けないで折り返すしかない。残念だ!だってここは生い茂った木と湖が交錯する環境の感じがいいからだ。どうやら大沼公園は3時間かけるのが一番いいようだ。人が多ければ4時間あればゆとりをもてるだろう。何でか知りたい?人が多いと脱落者が出るかもしれないから!

自転車を返して、顔を洗って案内所をちょっと見て、駅に入る前にまた自転車で走った道路をちらっと見た。心中とてもうれしかった。また乗りに来たいと思った。自転車の旅は本当にいい。気持ちよくて愉快だ!(あとで富良野YHで知り合った台湾人蘇宜佳に大沼公園の湖の自転車一周を勧めた。彼女もいいと思った)

函館に戻った。駅構内で食べたいとは思わなかった。「金森倉庫」に行く予定だったんぼで、そこで食べようと思った。ちょっと歩き出してみるととんでもなく時間がかかりそうだったので、やっぱり放棄したほうが良さそうだ。どうせその後に五稜郭公園が僕にとっての重点なんだから。それに昨日見たケンタッキーに行きたかったので、そこで食べた。チキン3ピース、ポテト、コーラで¥819。とても愉快に食べた、気分が良かった。来日14日間のうちケンタッキーで3食食べた。3つの店はどれもケンタッキーおじさんお写真を掲げていた。台湾では掛かってないようだ。

その後、僕は昨日住友民宿に電話をした公衆電話の隣の雑貨屋で、市電BUS一日乗車券を買った。函館の大衆交通手段を利用するためだ。五稜郭はJRでも行ける。でも別の交通手段を試してみたい。僕は国外に旅行するとき必ずそれを考慮する。市電に乗って「整理券」を取り、下車時には運転士横の箱に入れる。券にある番号に応じて金を払う。もちろん車内の電光掲示板で教えてくれる。僕は一日乗車券を買ったのでこういう些細なことをやらなくて済んだ。市電に乗り降りするとき、運転士は何も言わなかった。BUSに乗って函館山に行く時、運転手が整理券を要求したので、一日乗車券であっても整理券で記録する必要があるのを知った(僕は使わないので、どっかにやってしまい、忘れてしまっていた)。下山時に仔細に他人を注意すると、一日乗車券と整理券を組み合わせていたことからもわかった。

歩いて五稜郭展望台に行った。上に行って展望するには¥630かかる。だから登らなかった。一階のホールで五稜郭が作られた歴史を見た。明治天皇親政(大政奉還)後、親幕府軍と五稜郭で争奪戦を行った。五稜郭が星型の城郭なのは徳川幕府の末年に武田斐三郎がヨーロッパの城と濠を参考にして作ったからだ。当時は大砲と鉄砲の戦争なので、城濠の建造も改進が必須だった。1857年に建設が始まり、1864年に完成した。徳川幕府の榎本武揚は幕府にいて政権交代を迫られた後は、兵を率いて軍艦で箱館(今の函館)まで逃げて五稜郭を占領、「蝦夷共和国」をつくった。そのため1868~1869にいわゆる「函館戦争」が起き、榎本武揚は敗戦後に投降、維新政府の高官になり、北海道に対し重大な貢献をした。ほかの有名人では土方歳三(幕末の軍神と称された)が戦死した。だいたい人民というのは悲劇の英雄を愛するもので、明治維新に人心に向かっていたとはいえ、土方歳三は当時の現地にあって人心をよく得ていたので、この一階のホールでも当時の背景を描いた映画に、英雄の命を惜しまない戦死が出てきて、感動させられるのだった。

展望塔を出て、公園に来た。外周の道路は全長1815m、多くの民衆が自転車に乗り、あるいはジョギングして回っている。僕が少しも躊躇せずに一周したのは言うまでもない(そんなことして何の意味があるんだと聞かれれば、同類でないと答えられない^_^)。外周道路の後はお濠だ。正門、後門の2ヶ所に橋があって五稜郭の中に入れる。正門から入って適当に散歩すると、きもち良くて晴れ晴れする。旅行は本当にいい!疲れたので椅子に座って休む。日本人が公園の空き地を使って遊んでいる。悪くない感じだ。城壁の上も歩く。すでに緑化されていて、城の星型の輪郭はかすかにしか見れない。一つの「稜」(*角)を歩き終わって、また次の「稜」に歩く。特別な建築で、わざと互いに並べていない。城郭内は上下三層に分かれ、濠外周道路と離されているので、必ずや「難攻不落の城」であろう。

5時前後にまた市電に乗って函館に戻った。駅までの「海峡ラーメン」で夕食をとる。知ってる単語が多いので、注文するのも簡単だ。心の中でちょっとうれしかった!

17:50順調に函館山登山BUSに乗った。このとき空からは小雨が落ちてきて、なんでこんなときに、夜景が見れないじゃないかと思った。山に登る途中、函館市街をしばらく見れる場所にさしかかると、バスは泊まったり、速度を緩めたりして乗客に観賞させた。もちろんおおくの賛嘆の声を聞いた。18:10小雨が飄々とフル函館山に着いた。

雨はやまない。でも観光客の写真撮影の妨げにはならなかった。僕もまず景色を撮って、あたりをぶらついた。空はしだいに暗くなり、人の波も多くなってきた。しまいにはあちこちで国台語が聞こえた。台湾人観光客が来たのだ!彼らは函館山をさらにホットにさせた。空が暗くなった後、函館山の下全体に美麗な夜景があらわれた。僕はデジカメでどうやって夜景を撮るかもう学んでいたので、わるくない写真が撮れた。函館山のこの写真はかわいい日本美人に頼んで撮ってもらったものだ(彼女は僕が日本で会った3人の美女の中の第二位だ)。僕は台湾の女の子にも頼んで夜景と僕の写真を撮ってもらった。でも満足できない。このとき群集がとても多く慌しいのでピンボケになってしまった。それから日本人の年下イケメンを見つけて、別の所でまた撮ってもらった。この日本年下イケメンはとても気を使って上の柵に登って撮ってくれて、本当に感謝した。でもこれも良くなかった、。だから僕は気づいた。デジカメの夜景効果は光がやはりある程度無いと効果が出ないのだ。

下山の交通手段に僕はロープウェーを選んだ(一日乗車券は使えない。でも違う交通手段を体験したいので、望んで金を払った)。でも五稜郭で手に入れた割り引き券を使ったので1割引だった(¥640>¥580)。だからちょっとは費用を節約したのだった。ロープウェーの速度は速く、ちょっとしたら山麓に着いた。BUS乗り場が見当たらないので、山麓から山の下までの長い長い坂を突き進んだ。そして小雨の中でバスを待ち、乗って函館駅に戻った。今日の行程はバラエティに完成した。疲れた!

21:00住友に戻り風呂を浴びたが、時間はまだ早い。陳ママの誘いで茶を飲んでしゃべった。疲れていたので投宿客が着くまでしゃべることにすれば、陳ママをほったらかしてヒマにさせなくてすむ。でも11時になっても、投宿予定の客はすでに2時間も遅れてるのにやって来なかった。本当にダメだ。疲れすぎている。翌日は札幌に急がねばならないのだ!陳ママにおやすなさいを言って、部屋に戻って旅行記をちょっと書いてからやっと寝た(23:40)。両足の疲れを癒すために、脚を高くした。両足をよくいたわらないと。後の行程は両足にかかっているのだから!


2005-11-09 21:49  nice!(0) コメント(0) トラックバック(0)

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