2003/07/27旅行記--東北・青森~弘前城   


原文:

2003/07/27遊記--東北˙青森~弘前城

http://www.wayfarer.idv.tw/Japan2003/0727.htm


一晩中よく眠れなかった。電車の音がゴオゴオと度々やかましかった。これでは電車の近くにあるホテルはみな影響を受けているのだろう、彼らはどうやってこの音に慣れて自然になるのか想像するのは難しかった。僕はエアコンの電源を抜いて、窓の外の涼しい風を入れて眠ることができた。でも早朝になると電車がまた動き出したので、どうやっても寝れなかった。

羅ママは僕より早く起きて朝食の準備をしてくれた。この時間で起きているのは僕だけだった。二切れのハム、生野菜、ミニトマト2つ、一杯の牛乳と2切れのチーズ。朝食を取りながらママと話しているうちに、新幹線が八戸まで伸びたのは意外にも去年12月だったのを知った。(のちに行った青森YHでくれた小さな記念品には2002年12月1日東北新幹線青森県八戸駅開業と書いてあった)。僕はなんと幸運だろうか!以前ネットで見た旅行者に比べて盛岡から八戸までの区間を新幹線に乗れる機会に恵まれるなんて!

朝食をとりおわると、民宿の外観を撮った。宿に送ってホームページに乗せるようにした。そうすれば後で僕と同じ様に間違える事は無くなるだろう。

JRPASSはよく使える通行証で、順調に山手線で上野に出た。今年は上野駅開業120周年なので駅内で祝賀メッセージをよく見た。そしてついに宿願かなって新幹線に乗った。新幹線のような新時代公共地上交通システムを体験したのだ。車内は電話があり、国内外にかけられて一般の電話と違わない。座席は2*3列に並んで、椅子の前には小さなテーブルがあり物が置ける。基本的に飛行機の感じだ。でも前後の幅は大きく広く、拘束感はなかった!座席の配列から見ると、新幹線のレールは一般電車より広いことがわかる。両者がレールを共用できない原因でもある。

眠れなかったので、車内で1時間ばかり居眠りをした。窓の外の田園風景は心開かせるものがある。でも僕は通路側に座っていたので見にくかった。残念だ!時間をとらえて旅行記を書くのも悪くない。ほかに僕が発見したのは日本人のある習慣だ。特急や新幹線でとても多くの人が靴を脱いでいる(これは台湾なら無礼だ)。でも日本人はそうではない。僕も郷に入れば郷に従えで靴を脱いだら気持ちよかった!でも日本人は靴下は脱がない。度は外さないということだろう。

新幹線の速度は確かに速かった。その上停車駅も多くいない。だから平均時速200キロで速く運転することができる。八戸駅に着くとどの列車にも編成された清掃員がすでに待っていて、列車が通るたびにお辞儀をしていた。本当に日本式の仕事熱心な態度には敬服する。下車すると気温がもっと涼しくなった気がした。緯度の高さが気温に影響していると見える。やはり人は騙せない。

JR特急に乗り継ぐと、こんどは窓辺に座って風景を見ることができた。列車に乗っているのもちょっと手持ち無沙汰だ。自由席と指定席は実は差はない。確かに席があるかどうかだけだ。この列車は2*2の座席配列だった。

青森に着いて駅に出るとまず400円払って荷物を預け、それから吉岡海底の見学券をどうやって買うのか調べた。しかし駅内では資料も関連情報も見かけない。だったら口を動かすしかない。イケメンの切符売りに1時間かけてはっきしたところでは、青森では1日たった1本の列車、朝10時のしかないという。僕は、ネットが、ネット!こんな重要な事をどうしてはっきり言ってくれなかったんだ?さらに青森ではドラえもん列車に乗ることができない(函館からだ)。こうしてやって来て僕は今日明日二日の行程を大幅に見直さねばならなかった。十和田のバスはとても少ない。おそらく無効で一日泊まる必要がある。なので十和田は放棄した。午後は弘前に行ってみよう!(幸いにもまだ予備案があった)。弘前に早く行くために昼食はホームの販売機で売ってるからあげチキンを買ってしばし飢えを充たしたが、それほど不味くはなかった!(これは日本の観光地の参観時間のせいで、だいたい午後5時には閉まってしまうので、時間をちょっと急いだのだった)

青森から弘前までの電車は、ずっと窓の外の風景が青々として山の中を進んでいるかのようだったし、田野の間を通るときには両脇に一列の樹林が並んで目には相当良かった。駅に着いて、帰りのちょうどいい時間を確認した後、観光所で自分の行きたい所の資料を手に入れたが、幸いにも突き動かされなかった。僕が逆方向に歩いていたからだ。案内所のガールに聞くと、市内観光バスを使えば、少なからぬ時間と体力が省けるらしい。

14:25市役所前で下車。数歩もいかないうちに追手門に着いた。よく知っている城門様式だった。路上の石畳と至る所で茂る木も同様によく知っていた。僕は興奮して思った。また日本の古城を参観できるのだ。これも日本戦国時代の建築だ。弘前城は津軽為信が津軽を統一した後(慶長8年、1603)に築城計画をし(本州と北海道の間の海峡を津軽海峡とよぶ)、二代藩主信牧が慶長十五年に着手して、翌年完成した。以後の260年の間ずっと津軽藩の政治の中心だった。その間落雷による火事で再建もされている。城の規模から見て、津軽為信が小諸侯だったのだろうということだけはわかった。

今回日本に来て日本人とほしいがままにコンタクトする心情を抱いていたが、しかし僕が一ヶ月前からずっと日本語会話のCDを聞いてのは、無駄に忙しくしただけではないのか?写真が撮りたくて、勇を鼓して口を開いて頼んで見ると、もちろん熱心に援けてくれる。時にはセルフタイマーを利用して撮ることもあった。位置をうまく調整すると、往々にして満足な写真を撮ることもできたし、人に頼むより良い写真になることすらあった。

城内を気ままに歩いて見かけたのは2人だけ、男性と女性だった。同好の人が少ないのは明らかだった。二人としゃべって見たかったが、でもまた日本人は怖い。だから行動に移すのをためらった。後でもし機会があれば、僕は挨拶を試して見たいと思う。国外で自由旅行の同好者とたまに会うことは、人をハッピーにさせることのひとつだ。団体旅行の旅行者であってもいい。

先に書いたように、津軽家の天守閣は小児科である。僕が大阪城、熊本城、小倉城を見て知った後では。僕は弘前城の天守閣から歩いてきたのだが、そこが天守閣だったことはわからなかった。だから後でもう一回北門(最初は南門だった)入り、正面外観のいい写真を撮ったのだが、これはちょっと空しかった。そうやって公園の回りをきっちり歩いたら疲れを覚え、体力がひどくなっていた。とくに天守閣で撮り終わって追手門に出、さらに外周をぐるっと半分回って東門からさらに追手門から来るあの道を進むと、命からがらになった!歩くのも気持ちいいが、体力もダメになる。16:30に100円払って観光バスに乗り弘前城を離れた。

17:12に弘前に戻り、17:57青森に着いた。駅名の写真を予備で撮り、すぐに安いそばを食べた。日本人は面を食べるとき本当に大きな音を立てるのがわかった。だから僕もまた郷に入れば郷に従えで、大きな音で僕のそばを食べた。でもまだ腹が減ってる。乗車時間はすぐだ。青森駅構内のDOMDOMで小さなから揚げを3つ買ってあとで腹を充たすことにする。急いで荷物を取ってきて、18:51に計画表どおりの時間で東北本線に乗って向山に行った。3つの小さなから揚げは車内で食べた。

たった1時間の乗車でも、長く長く感じた。向山駅に着いてわかった。根本的に「駅」じゃない。電車が止まるだけの場所にしかすぎない。(聞けば、日本の無人駅はまだたくさんあるらしい)。だから運転士が切符回収を兼ねていた。僕のJRPASSをSHOWして改札を出ると、わ!暗くなってるのに、街灯がなんにもない。YHがこんな僻地にあるのか?幸いにも青森YHの照明看板があったので、こんな真っ暗な道でも行けた。ホント言うと怪しくて怖かった!女性がここを歩けば10分かかるだろう。心の中はいつの間にか緊張していた。たとえ日本の治安はとても良いとしても。ここはしかし牧場なので、山地のようだ。僕の荷物は動きやすくて重くもないから良かったけど、そうでなかったらくたばっていただろう。

着いた目的地はすぐに僕に宿泊カードを書かせ、お金を収め、2枚のシーツを与え、僕の泊まる部屋を教えた後は一切を自分でやった。ここは僕が最初に泊まったYHだ。だからシーツの確かな敷き方なんて知らないし、めくらと同じだった。確かな使い方は一枚を敷布団に、一枚を掛け布団にくるむのだった。体と布団を接触させないようにするためだ。これは後のYHでもそのようなやり方だったので、みなさんも習慣に照らしてそうしよう。チェックアウト時にはシーツをはがして戻す。ここは僕がはじめて泊まったYHだったので、次の日離れるときに僕はシーツを戻さなかったので、僕がほかのYHでこの「規則」を知った後は、心の中でずっとすまない思いをした。

YHは一般に毛布は提供しない。提供できるのは身体を洗う化粧石鹸と入浴剤、スリッパ、ドライヤーだ。ひげそりはもともとない。歯ブラシ、歯磨きなんて思ってもいけない。幸いにもYHが提供しないものを僕はみんな自分で持っていた。やはり事前の予習準備下調べはするべきである。

身体を洗って部屋に戻ると、2人のルーム名とも雑談後に戻ってきた(ここでは20:00~20:30はみんなが知り合う雑談時間である)。僕はボロボロの英語日本語で彼らと話した。彼らは僕が日本人ではないと知った後も、英語で話そうとはしなかった。だから僕も名字を聞くぐらいしかできなかった。一人は清水さん(見たところ僕より年は上だ)で日本国内乗り放題の青春18(夏冬の休みだけ売られる。年齢制限はない)でささやかな範囲の鉄道の旅をしていた。名古屋、青森、秋田、福島、新潟、名古屋(名古屋が彼の家だ)。べつの一人は木村陽介(16歳)で、東京の國學院大學付属久我山高校の学生だ。こうして僕は何も聞くことができず、帰国したらやはり日本語をすこしやらないと、YHに泊まっても収穫がなくなってしまう。

YHに泊まるということは、ホテルと同じ様な便利さを望まないと言うことだ。しかしここで僕は意外にもコンセントを見つけられなかった’(別に泊まったYHではたやすく見つかった)。僕は2個のデジカメの電池をもってきていて、1個はまだ充電してない。別の1個はもうすぐ電池がなくなる。これは非常に頭を悩ましめることだった。やはり次の日にそうなった。別に注意したいのは、台湾と日本では電圧が違う。充電器が使えるかどうか知らないけれど、もしだめでも僕が早くも試したように、変圧器を買えばいい。

10:00になると、みんな規則をよく守ってベッドに横になった。


2005-11-09 20:09  nice!(0) コメント(0) トラックバック(0)

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