2003/08/08旅行記--東京・原宿~明治神宮,新宿   


原文:

2003/08/08遊記--東京˙原宿~明治神宮,新宿

http://www.wayfarer.idv.tw/Japan2003/0808.htm


昨夜はドアを開けて寝たが、でもやっぱり暑かった。07:10完全に起床したが、容易ではなかった。この時間までよくやり過ごせたものだ。起きるやすぐに浴室で水をあびて涼んだ。全身が汗でべとべとだったからだ。出てきて長ズボンをはいた。羅ママはもう朝食の準備をしていた。僕はそのままママに昨晩の情況を説明した。ママはちょっと角が立って、そんなことは知らないと言った。僕が言ったようにファンをまず試すと、エアコンは放熱する場所が窓でさえぎられていた。羅ママは言うの忘れていたのだ。窓をあければ情況も改善したのだ。節電のためにわざとやったのではない。僕も安心した。羅ママに宿泊者には注意喚起をするよう頼んで、昨晩のことはもうよしとした。朝食はプレーンのおかゆとおかず少々。やはりとても僕の胃にあう。いい終わりになりそうだ。食べながらしゃべった。日本のカラスの話になった。僕がどんな観光地に行ってもカラスがいた。日本ではカラスを捕まえることができるのかどうか最後までわからなかった。でもママが話した例だと、ママのお隣さんは生まれたばかりの小鳥がいる母カラスに頭をつつかれて怪我をしたというが、これもどうやら奇聞らしい。(ここまで旅行記を書いた。僕はもう台湾に帰る飛行機の中にいる。持参したペンのインクが出ないので、隣の外国人に借りて続けて書く)

とても長く話して、9時に民宿を出た。最後の一日だ。山手線に乗ってまず新宿に行き荷物を預けて午後の成田空港までの指定席を予約して、原宿に行った。今日の残りの行程は明治神宮だけだ。2000年に孟勳と来たときは時間が遅かったので、神宮内の御苑を参観できなかったので、今回その願いをかなえにやってきた。

大鳥居の前に来た。両目に明からな中へ進む歩道と両側の樹木は心を晴れ晴れとさせる非常に良い林の石の道だ。気軽に散歩できる。¥500払って御苑を参観し、ぐるっと歩いて気づいた。実はどうってことない。一般の樹林と小道で異なるところはない。とても静かなのは悪くない。でも本当にたいしたことない。あるいは明治天皇が常に休んでいるところだから、日本人には深い感情があって、もとの様子を維持して風格とするのが重要なのかもしれない。¥500払って参観する価値があるかと聞かれたら、その答はイエスだ。もし行ってない場所があるのなら、行ったことにはならない。この名所は世間をあっと言わせる場所ではない。美瑛のパッチワークの路と同じで、僕は台湾の山野郷村の道も遜色がないと思う。でも北海道の花の季節に行って、美瑛に行かず、パッチワークの路で遊ばなければ、そえれは隅が欠けた旅程となる。

本殿に戻ってくると、道には観光客が絶えず、台湾人も少なくない。僕は純粋に行って見たい心理で、最後の一日を気ままにのんびり散歩したかった。こころを落ち着かせたかった。だってこれが日本の最後の数時間なのだから。ここでは昔の礼式の結婚式を見れ、多くの人のカメラの焦点を集めていた。このときの天気はとても暑く、彼らは門から別の門までゆっくりと歩いた。その道は長いようだ。本当にお疲れ様!面白いのは本殿広場に進む門前に「本場所は古式にのっとった婚礼をサービスしています。新式の婚礼はべつのところでどうぞ」とはっきり書いてあったことだ。

それから僕は引き続き各歩道を歩いた。なんの目的もない。僕の愛用している両足が一ヶ所、一ヶ所を歩いていくのは痛快だ。僕の足跡がここに来たのを示したい。でも今日は風がない。だからこのように強い日差しからさえぎってくれる林の歩道を歩いていても、やはりとても蒸し暑いのが、少し玉にキズだ。

ぶらぶらしてると昼になった。竹下通りに行った。この通りは短かった。ちょっとしてすぐに歩き終わった。奇異に着飾って化粧した少女を多く見た。怪しい感じはしないが、夜に見たら80%はびっくりするだろう。戻るときに羅ママが紹介した「讃岐うろん」を見つけた。やはり食べてる人が多い。列に並んでるとき、バイト募集の紙を見た。賃金は1時間¥900だった。日本の給料水準はやはり高いようだ。注文時に「中」を読めなかった。だって日本語だとひとつの文字にたくさんの読み方があるからだ。あえて確定せず、手の指を使って空中で「中」と書いた。麺をあやつるコックもすごい。すぐに見取って、さらに読み方を僕に聞かせた。こうして僕も正確な読み方(ちゅう)がわかった。でも恥かしいことに僕はやはりここでもおいしく食べれなかった。腹を充たせばそれでいい。

食べ終わってそのまま山手線で新宿に戻った。13:20なのでまだちょっとぶらつける。東口の歌舞伎方向から出た。もちろん目的地はそこではない。ただ成田空港への電車のホームが近いので、地の利が便利だっからだ。このとき小雨がふってきた。僕はまず「紀伊国屋」に駆け込んで雨宿りした。紀伊国屋に入ったの初めてだった。動機のひとつは偉倫がかつて東京に来た時にここに来たのと、富良野でしゃべったときにここが出てきたからだ。入ったとき僕は本当にあえて信じなかった。全部が本屋だ、B2~9Fまで。でごわい!どうやって比べらようか、うらやましい!一網打尽に分類してるので、別の本屋へ行く必要がない。でも欠点がある。台湾のように座る場所がない。僕の足はもう駄目だった。動かずに立っているのは歩くより疲れる。だから僕は外に出て歩き続けた。とある家電品店でカメラとメモリカードを見た。う~ん。台湾のほうが安い。もちろん見ただけだ。そして西口をちょっとぶらついて、本当にどうでもよく歩いた。時間もほどほどになったので、荷物を持って、予定した列車より一本早く成田空港に行った。もちろんこういうふうだと指定席の場所には座れない。でも僕はとてもSMARTだった。喫煙車に行くと人が少なかった。やっぱり!僕は一人で4つの席を占拠した。Happy!

空港に着いた。UAに乗る人は多い。安全検査も一般のエアラインより慎重だ。幸いにも僕は30分早く着いていた(離陸時間の2時間半前)。さもなければ急ぐことになったかもしれない。17:00に列に並んで出国スタンプをもらい、日本の旅程は終わった。ゲートに向かう途中、僕は日本の最後の何枚かの写真を撮るのにいい場所を探した。17:40搭乗開始。僕が手にしているのは座席が決まってない搭乗券だったので、先にカウンターで席をCHECKした。この日本ガールは慌てていて効率がない。ずっといじっていて、僕はもう彼女が新しい搭乗券を三度も発行するのを見ていた。そのなかに僕のがあった。しかし彼女はまだ自分のことで忙しくて、僕をそこに待たせたままだった。待ちきれなくなった僕が口を開いて訊くと、彼女はやっとのんびりと手渡した。本当にTime Shearingというものがわかってない。アメリカユナイテッド航空は地上勤務員の教育訓練をもっとやるべきだ!

待ち時間で消耗して、ようやく機内に入った。そうだ!飛行機が飛ぶと、僕の14日間の旅は、本当に終わった。非常に豊富で充実した忘れがたい旅だった!飛んでほどなく、空から日本の某所の夜景が見えた。きれいだ!僕はカメラで補足した。まだはっきりしている。この意外な機内からの夜景は、この旅の美しい句点となった。

さようなら~


2005-11-14 17:13  nice!(0) コメント(0) トラックバック(0)

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