原文
2007/12/19遊記--稚内-宗谷岬,日本本土極北點
http://www.wayfarer.idv.tw/Japan/Japan2007/1219.htm
例によって朝7時に起床、歯を磨き、顔を洗い、下へ朝食を食べに行く。とどこおりなく、ホテルを8時ごろに出る。まず稚内ゆきの指定席をとる。今朝は運がいい。路上には雪が舞っている。でも昨夜ほどではない。指定券をとり、荷物を背負って買い物公園通りへゆく。ぶっちゃけあと1時間半もどうやって時間をつぶせばいいのかわからないので、あたりを歩きまくる。買い物子公園通りは見所はありそうだし、車をよける必要も無い。二条通りの1階のビルの温度計を見たらマイナス4度。寒くは感じない。
買い物公園通りぞいにずっと歩いてく。2003年にはこの通りの最後までゆき、そのときはとても疲れたのを覚えている。でも今日はそれほど遠くは感じなかった。除雪車や人が雪をどかしてるのを見る。買い物公園通りの両側の歩道に雪は無い。昔なら人工的に随時除雪がなされていたのだろうけど、今は地面から熱気が出ているのが見える。おそらく地熱のケーブルなどが埋設されているのだろう。僕の推測はその後に証明された。ほかの通りををぶらついてたとき、まさに地熱のケーブルの埋設工事をやっていたのを見た。買い物公園通りを歩き終えて7条通りへ。7条通りにも特に幅広い歩道があった。僕はそこを長めに歩くことにした。このギャラリーは有効広場と呼ばれていて、どのブロックも友好都市の協賛を受けた広場であるようなことがかかれていた。
この7条通りもとても遠くまでありそうに見えるが、でも時間はありあまっているので、ずっとすすんでいく。雪を踏みしめて歩く体験がどんどん増えていく。ここの積雪はほかよりも深めで、そこを歩く感じがまた良い。このとき、向かいから雪が舞ってきた。つらくなんて無い。楽しい。でも雪におおわれているせいか、この通りの友好広場の景観がいかなるものかよくわからなかった。最後に常盤公園に着いた。ここに来るには駅から買い物公園通りと7条通りをそのまま歩いてきて、左に行けばその先にある。この公園もまったく白い雪にすべておおわれていた。目に入るところどこまでも。ぼくはちょっとだけ回ってみて戻った。もうそれほど時間がなくなってきたからだ。
この数日、僕はずっと車に注目していた。チェーンをつけてる車は一台も見なかった。それでも普通に雪の路上を走ってる。毎回合歓山に雪が降ると、ニュースはこぞって車にチェーンをつけないと滑って走れませんと注意を促すのを思い出した。日本の車のタイヤにはまさか冬用のがあるのか?好奇心にかられて路駐していた車のタイヤの写真を撮った。仔細に調べてみても、ほとんど差はない。
駅に戻る。時間もいい具合だ。70分歩いたことになる。ホームに出る。列車の英姿を撮る。このときまた大雪が舞ってきたので、僕の旭川に対する印象はとてもよいものになった。列車を待ってる間に雪に覆われたレールを見るのも面白い。北海道に来たのは初めてじゃないとはいえ。列車が積雪の中をすすむ。そのまま進んでもかまわないのだろう。堅い氷ではなく、軽やかな雪だから、危険なことにはならない。どうせ最後には水に変わるのだ。列車はすすむ。ちょっと疲れた。朝から4、5キロも雪を踏んで歩いてきたのだ。うたたねをする。
目が覚めて窓の外を見る。あますところなく真っ白な雪。テレビで見た白銀の列車の旅そのままだ。なんていうすばらしい体験だ。来た甲斐があった。列車に乗って雪景色をめでる。各駅もほとんど雪が積もっていて、とても静かで、快適で、愉快な感じだ。途中、北緯45度の幌延を通った。日本最北の温泉駅でもある。日本海沿いを通ってるとき、車掌が特別に車内放送し、列車の速度を落とし、乗客に鑑賞させた。
13時半、稚内着。すぐにネット友人が言っていた最北のホームへゆき、最北の鉄道路線の記念写真を撮る。それから駅の外に出て最北の駅舎とまわりの景色を撮った。そしてあたりを見回したが、宗谷バスのターミナルがない。時間ガが無い。案内所で直接きいてみると、すぐに時刻表と情報をくれた。もともと宗谷バスのターミナルは駅の右前方にあったのだ。駅から出て右に曲がり、1、2分歩いたところにあった。僕はまたも往復切符を買った。2430円。もし車内で整理券を取れば、片道1350円だから往復で1割得をしたことになる。宗谷岬まで片道50分。本数は少ない。僕は13時45分のに乗った。その次のバスは16時20分だ。
車内からずっと外をながめる。おなかが減った。急いでバスになったので食べてない。稚内に戻ってからたべるしかない。みんなに重要な指摘をしておきたい。宗谷岬はバスの終点ではない。だから運転士の上にある停留所表示を必ず注意して見ていること。宗谷岬と表示が出れば、ボタンを押して降りればいい。今日のように降りたのが僕一人だった場合(列車には観光客がいたいけど、日本本土最北端にまで来るような人はいなかった)、もし通り過ぎてしまえば、すべての旅程がディレイすることになる。なぜなら宗谷岬そのものは30分もあれば見るのに十分だからだ。
降りて有名な三角錐の碑を見る。日本最北端の地と書いてある。いきなり一人が駆け寄ってきて、アンケートをとってくる。僕は日本人ではないですというと、彼も考えて、どのみち漢字の質問項目なので、ぼくは回答した(何歳、交通手段、何人、どこから来たか、泊まるホテルとか)。おそらく、どんな人がこんな最北の地まで来るのかを知りたかったのだろう。彼もご苦労さんなことだ。この身を刺すような寒風の天気のなかで仕事をしているのだから。でも幸いなことに、待ってるは車内で待機していた。
宗谷岬の「音楽の碑」は近くを通ると音楽が流れてくる。ネットでいちばん有名な温度表示の三角形の大門は、このときマイナス2度を示していた。でも僕にしてみれば釧路のマイナス7度より寒く感じた。ここは海風がずっと吹き付けるからだ。ここは5分もあれば写真はだいたいすべて撮れる。でも満足せずに、カメラを手にしてあちこち写真を撮る。本当は最北端到達証明書を買いたかったのだが、残念ながら店のドアから入れなかった。どうやったらドアが開くのか何度も試したけど、どうやら店はしまっているらしい。だからドアも閉まっているのだ。到達証明書をゲットできなかったのはとても残念だと思いつつ、バスの待合室までいくとその横の店でもうまいことに売っていた。店の中に入ると、やはりそれはあった。願いはかなった。たくさんの記念キーホルダーも買い、しめて1835円。ここの到達証明書は西暦で書いてある。最東端の根室納沙布岬のは平成で書いてあった。
バスの待合室で休んでいると、ゲストブックを見つけた。そこで僕も書き残した。大陸人の文章もあった。このとき15時5分。バスは15時9分なので、外に出て寒風の中待つしかない。バスは定時に来た。僕はバスに手を上げてそのまま乗り込んだ。終点のバスターミナルまで客は僕一人だけだった。僕の専属バスだった。ぼし僕がいなければ空車だったろう。今までの例からして僻地でのバスでは僕一人あるいは少数の客しか乗ってないのはよくあることだったので、僕はもう慣れていた。2005年に鳴門ではじめてバスの中に一人なったときにような気まずさはもうない。
15時58分、稚内駅着。食べ物探し。始発駅なので、自由席に座れないおそれはない。まず駅外の「ふじ田」という店で焼肉定職を食べる。そのときだいたい4時くらいだったけど、店内は誰もいなかった。でも僕はおなかがすいていて営業してるかどうかは関係なかった。その後、あとから客が3人がやってきた。この店にとって僕は客を呼び寄せるラッキー客なのかもしれない。食べ終わっても満腹しない。札幌に着くのは10時だ。というわけで駅内の「そば処宗谷」でかけそばを立ち食いする。かけ、とはどういうものなのか僕は知らない。そばならわかる。どうでもいいことだ。そばの上に3品のってるものだった。15分でたべおわる。この小さな店を撮り、さらに僕をヘルプしてくれた宗谷バスターミナルのあんない所も撮った。ホームにはいる。そしてまた最北のホーム、線路、列車の両側の先頭を撮ってから、乗車して休む。
これから5時間も列車に乗っていないといけない、これは僕の日本旅行の中で最長の列車時間だ。夜なので風景は見えない。おそらくひまに耐えられないだろうから、眠ったり旅行記を書くことになるだろう。この後の数日間は天気がけっこう良く、札幌をハブにして観光した。同じく長時間バスに乗ったのだが、やはり列車のほうが快適だ。駅をいくつか過ぎても雪が舞っている。でも停車時間はあまりに短い。ホームに出て写真を撮ることは無理だ。旭川には長めに停まることは知っていたので、降りて撮った。でも旭川は雪が降ってなかった。列車は札幌へ進む。
札幌に着いた。人の波を見た初印象は、ここが北海道最大の都市ということをあらわしていた。これは2003年のときも感じたけど、今でもやはりそうだ。ホームを出て改札内のホールを無秩序に行きかう人の群れは、ぼやぼやしてたら少しも歩けない。
まずやらないといけないのはホテル探し。地図がないので住所をたよりにするしかない。北2西2。直感で北口へ。このとき僕は頭いいなとかそんなこと考えてた。でも北の広場には明確な地名標がなかった。北7西3というのは見たけど、東西南北がわからない。地下広場にいって地域図を見る。ぐるっと半周して地面に出て北8西2に出るのが妥当なようだ。南へ歩けば徐々に見つけられるかもしれない。札幌駅は北海道の碁盤の目のような道路命名法の中心点だとそのとき僕は思っていた。でもやはり方向がわからない。北8西3まで歩いみたらどうか。かなり心理的にこたえてきた。毎ブロックの距離が長い。体力も消耗する。闇雲な手探りでは解決できない。そこで考え直した。北7西2まで歩けば間違ってはなさそうだ。でもでも駅の反対側までどれくらい距離があるんだろう。駅の南口から出たほうがいいのか?駅に入って地域図を見る。やはりそうだ。碁盤の目がよくわからない。(翌日になってあらためて見直してみると、やっとわかった。あ。碁盤の中心は旧北海道庁を中心点としていたのだ。それは合理的でもる。開拓当初に道を作ったときはそれが自然なやりかただっただろう。というわけで、駅から北2西2を探すときにぶち当たった問題もやっと理解できた)
しかし西2をそのまま歩くと、やはり道を間違えた。何ブロックもめぐって、北2西2まで歩いた。この問題はやはり東西南北がはっきりしないことのためだった。でも数日もたつとだいたいわかるようになってきた。意識して歩けば、CHISUNの看板をすぐに見つけることができる。心の重荷もこれでやっと解放された。ホテルの地図のコピーを忘れて、いちばん探しにくいとおそれていたのがこのホテルだったのだ。ここには3泊したので、もうホテル探しの問題はなくなった。
ホテルの外観は実にすばらしかった。とても高級感があった。ロビーもいい。でも部屋はありきたりだ。エアコン、ボリューム、照明などは意外にも陳腐だった。復古調なのか、それとも20年前からの使い古しなのかわからない。でもそれは最近急激に拡大している東横INNとの比較とのうえだ。事実、これはたんなる第一印象にすぎなくて、それ以後はべつにわるい部屋だとは思わなかった。
宗谷岬で帰りのバス待ちをしてるときに風景を見たり、眠らないように岬を吹き抜ける強風を浴びたせいだろうか、今になって頭痛はするし、寒気を感じる。エアコンの暖かさも感じない。かぜを引いたんじゃないかと心配になる。しかもホテル探しに迷ったので、風呂から出たらもう23時半だった。いそいで眠りにはいる。カゼをひくのだけは避けたい。さもないと残り3日間がみじめなことになる。