原文
2007/12/18遊記--網走監獄博物館、旭川下大雪了
http://www.wayfarer.idv.tw/Japan/Japan2007/1218.htm
今日のモーニングコールの時間は6時55分、きのうは6時50分だった。おそらくオフピークだったせいだろう、それにしても正確ではなかった。15分で顔を荒いパッキングをし、一階で朝食をとる。またも同じくおむすび。食べ終わって荷物を持ってホテルを出た。まずは駅へゆく。見所はとくにない。どうも今日もまた釧路あたりは好天気とみゆる。北大通りを歩いているとき温度計を見た。ありえない。マイナス7.1度。そんなに寒いのか?駅に着いた。あちこち撮る。2003年に来たときに駅の隣のラーメンを食べた店に入ってみようと思う。探すと、その【きた乃家】はいまだあった。うれしくなって記念に写真を撮った。駅わきから阿寒バスが出ているのを知った。阿寒湖へゆくのだろう。ネット友人よ、もし阿寒湖にゆくのなら、ここから乗るがいい。
時間をつぶす場所が無い。9時5分まであと1時間もある。やはりまたぬさまい橋にいくしかない。エクササイズにもなる。900mを15分で歩けた。日中のほうが写真うつりがいい。左側、右側、春夏秋冬4人像もばっちり撮った。これで本当にさよならだ。駅にもどる。網走へゆこう。ホームに入る。まだ15分あるので湿原の鐘のあるホームにいき、しげしげと眺め、2003年当時を思い出す。思いっきり叩いてみたら、自分でもびっくりして飛び上がってしまった。この4年の青春の歳月のうちに、僕は4回転職をした。どれも思いもよらなかったことだらけだった。
列車が動いた。ぬさまい橋のあたりで、疲れていたのかまた眠った。標茶になってやっと起きた。そのあと、僕は積もった雪をまたも見た。すごい。心配ごともない。北へゆくほど、積雪は深くなっていく。でも天気が晴れだ。まだ降雪シーンを見ていない。
3時間は長くは感じなかった。途中ずっと沿線の雪景色に見とれていたからだ。雪の中の鉄道を興味深く見ていた。列車が通る2本のレール。そのほかはすべて雪に埋もれていた。見てて楽しかった。網走ゆきの列車は、一両編成だったが客は少ない。せわしげに車内をあちこち動く客が多い。どの人も雪になみなみならぬ興味を覚えているのだ。知床斜里でしばらく停まった。ホームに下りて僕も記念写真を撮る。僕はコートを着ないでホームに下りてしまった。短い時間なら我慢できるだろうと思ったからだ。
12時5分網走着。時間が余ってる(旭川行きの本数は少ないので)。網走監獄ゆきのバスを探す前にまず腹ごしらえ。もう12時10分だ。まず腹にものをおさめないことにははじまらない。駅脇にラーメン屋があった。そこで天ぷらそばを食べた。寒風の中で熱いスープは僕を温まらせた。荷物をちょっと整理して、小さなかばんだけにして、バスを探す。駅正面にバス停があった。時計をみる。このとき12時半。次のバスは13時24分。50分もあれば網走監獄博物館までの4キロは歩けるだろう。雪の中をずんずん歩いていくことにわくわくした。というわけでバスではなく歩くことにした。網走監獄博物館へは網走駅を出て左に曲がり、あとは看板どおりにすすめばいい。いちばん最初にみた看板の博物館までの距離表示は3.8キロだった。僕はこれから歩く道が雪の積もった道路なのをはるかに眺めた。そこで滑り止めブーツをはき、注意して転ばないようにした。準備万端。
この距離は歩くにはちょっと疲れる。でも雪の積もった長い道を歩けるだけで、心持ちはとても楽しかった。しかも道中にはずっと看板表示があるので、道に迷うおそれもない。13時26分、網走監獄博物館の門についた。1時間歩いた。やはり歩きの選択は正しかった。途中坂道のところもあったけど。敷地の中に入ってほどなくしてバス停をみつけた。時刻表を見れば、帰りのバスの最適な時間は14時56分のだ。それまであと80分ある。事前調査で60分もあれば博物館を充分に見れるのはわかっていたので、安心した。
網走監獄博物館はほとんどとすべて白い雪で覆われていた。除雪された特定の道のほかはすべて四周みな雪だった。鏡橋の下にあるはずの池すらすべて雪に覆われていた。(これは後になって網走駅で写真を見てたときに、鏡橋の下が池だったのを知ったのだ)。僕は帯広東横INNで取った割引券を持っていたので、1050円のところ940円で入れた。中に入ると、まず脱獄王。この西川寅吉なる犯人は昔は監獄側にとっては悩みの種だったろうに、今では網走監獄博物館のスポットになっているんだから、おもしろい。それから刑務所の旧庁舎までぶらぶら。パンと木製と入監証を買った。(なんか変な感じだ。出獄じゃなくて入獄証を買ったのだから)。
それから気ままにぶらぶらする。とくに目的はない。すべてのエリアをひととおり。写真を撮ったり、中を見学したり。ここに保存されている資料はかなりあり、歴史的経緯もはっきりと紹介されてることがわかった。ぼくのような見学のしかたではおそらく1時間では足らないだろう。各展示室の文字説明を読まなければ別だが。でももちろん、僕も時間を気にかけていた。だってもしバスに乗り遅れて歩いて駅まで4キロいく力はもうない。だから見学の足取りをはやめた。でもどの場所もすべて見た。どこもかしこも雪景色。じつにやなやましい。なんで雪の降ってないところに僕は今来てしまったのだろう。
バスが来る8分前にバス停へ。あたりは白い雪だったので、僕はバス待ちの間に、同じ足跡を言ったりきたりするという怪しいことをしてみた。他の人が見たら、バス待ちの暇つぶしにやってるんだろうと思われただろう。14時54分になってもバスがこない。こない。でも定時の14時56分に来た。乗って整理券をとる。駅まで220円というのはわかっていたので、小銭をしらべる。ふう、心配ない、小銭はあった。バスは僕が歩いてきたところをさあっと走ってゆく。一歩一歩苦心しながら前進した道を、今はやすやすと車窓を眺めるだけだ。これぞ科学技術というものだ。
旭川へいく列車の時間まで、まだ2時間もある。どうやって時間つぶしをすればいいのやら。まずブーツをぬいだ。ブーツよ、ごくろうさま。ちょっと休む。座らずに、地域図を見に行く。行くべき場所はなさそうだ。哀しいことに、本当になにもない。でも言い換えるなら、歩き回らずにすむということだ。この2時間を休憩にじっくりあてよう。駅内のツーリストインフォで台湾区旅行のパンフを見かけた。表紙には中正紀念堂の【大中至正】がアピールされている。どうもこのパンフはちょっと古いらしい。だってそこはもう自由広場に改称されたのだから。指定席を予約しにいく。駅員が窓側の席はないというのは聞き取れたが、でも彼にどういえばいいのだろう。Aile
seatと言った。通路側の席が取れた。でもこれは単なる予防策で、もし自由席の窓側に空きがあれば、そっちに座るつもりだ。
待合室でテレビを見ながら時間をつぶす。うたたねをした。夕食を食べておこうと思った。列車の冷たい弁当を食べた経験があるが、あれには我慢ならない。しかも旭川に着くのは夜遅い。とてもお腹が減ってるだろう。ことき午後4時15分。駅脇のレストランでは食事はなく、弁当のみ。もちろん僕はいらない。だって僕が必要なのは熱いスープと暖かいご飯だからだ。そこで荷物を持って、ローソンで電子レンジで暖める食べ物にでもしようかと思ったが、隣に浜長というラーメン屋があるのに気づいた。中に入り塩ラーメンとチャーハンを注文する。あつあつの食べ物を胃におさめると、精神と体力が補充された。いい感じだ。駅に戻るとまもなく5時。ホームに入れた。列車の雄姿の写真を撮り、自由席車両をのぞいてみると、ほとんど人がいない。空席がおおい。ならばということで、自由席にすわって落ち着く。車掌も検札にこなかった。どうせ旭川の駅の名前を僕は発音することができるので、検札がきても問題はない。
列車が動き出すと、僕はまた眠った。19時2分、降りる客が騒ぎ始めたので目が覚めた。駅名を見ると遠軽だった。同時に乗客たちはしきりと座席の向きを変える。何が起きたか僕には明らかだった。前にも何度かこういう経験をしたことがある。列車の進行方向が変わるので、それにあわせて席の向きを変えるのだ。それからはもう眠らなかった。19時22分、窓の外を見た。列車が停車している。窓の外をじっと見てみると雪が降っているらしい。そこでカメラをもってドアのところにいった。残念ながらドアは閉まっていた。ちらっと見ると、この駅は丸瀬布だった。雪はもっと前から降っていたのかもしれない。でもやはり列車は定時だった。これは楽しくなった。旭川では大雪に出会えるかもしれない。
その後は全然眠くならず、車窓も見なかった。旅行記を書き続けた。どのみち旭川に着くのは9時なのだ。夜には旅行記を書く時間はないだろう。あとになって旅行記が書ける時間があるかどうかの心配をしないように、この時間を利用して書いたほうがいいだろう。どうせ隣の席に人はいないので、気にかけることもなく旅行記が書けるいい時間だ。列車に乗りながら旅行記を書くというのも、毎回の旅行の充実した時間といえるかもしれない。旭川に着いたらすぐに列車の先頭の写真を撮った。レールはすべて雪で覆われていた。この列車が通ったレールのところだけは雪が脇に厚く積もっていたし、列車の先頭もほとんど雪だらけだった。
駅を出ると、深い雪が僕の目にとびこんできた。みたところ大雪が降ってほどなくらしい。でも惜しいことに今は降ってない。駅を出て駅舎とまわりの写真を撮る。心の中でこっそり叫んだ「ひさしぶりだな、旭川」。それからあたりをめぐらして東横INNをさがせるかどうか見た。発見できない。そこで買い物公園通りに足を踏み入れ、探しはじめた。ほどなくして駅に戻ろうと決めた。あてずっぽうに探すよりは、やはり位置を確かめてから探したほうが迷わないだろう。買い物公園通りは駅からまっすぐ伸びるメインストリートで、それに横に交差する一本目の通りを宮下通りという。2番目にに交差する通りは一条通りという(僕が泊まった東横INNはここにある)。それから順に、2条通り、3条通り、と続く。これは探しやすい。一条通りに入ると、すぐに東横INNが見えた。ホテルに近づく頃にはちょっとした小雪が舞った。降らないよりはましだけど、ちょっとがっかり。でもちょっとだけ大降りになったときには、とても爽快だった。チェックインするのも置いといて、大雪が降りしきる写真を何枚か撮った。それからすぐにホテルのフロントでチェックイン。上の階の部屋に入って荷物を置くと、カメラを持って、すぐに街に出て、雪をめでた。
ホテルの玄関を出てから、たえず大雪が僕の体のあちこち、髪や顔や手に降りかかり、雪の感じを味わった。細かく湿った白い砂のようだった。でも解けると水になる。不注意にも目にも雪は入った。コート、カメラも雪がますます降ってくると、僕はもう耐え切れなくなって、あわてて耳あての帽子をかぶった。風邪を引くのがこわかったのだ。コートは防水がしてあるし、カメラも写真を撮るときだけレンズキャップをはずした。でもこの雪はあまりに降りすぎた。ある店に入って雪を避けるほかなくなった。でもここでもちょっと休憩しただけで、どんなに歩きにくかろうと、やはりこんな滅多にない機会は逃せるわけがない。そこでそのまま買い物公園通りを進み、同時に、忘れることのできないたくさんの降雪の風景の写真を撮った。雪降る道が夜の明かりに照らされるさまは、美しさも極まれりである。
一生のうちに雪が降るのを見たことがない観光客が大雪ふりしきる様子をあちこちで喜び、雪が降りかかるのを楽しいとまで感じるのはあるいは僕だけかもしれない。4条通りをある菌、ホテルに戻ることにした。ずっと雪は降り続けている。僕もずっと写真を撮った。多くの写真がはっきりと大雪のありさまを映し出していた。このときの大雪は、僕に言わせればもう狂気だった。1条通りまで来るともうすぐ11時。このまま駅まで歩こうとしたけど、もういいだろう。そこでホテルに戻り、ロビーの無料ネットで、旅の目的を達成したうれしい記録を書き込みした。キーボードには注音符号はないけど、記憶をたよりにタッピングできた。心もようを書き込みするための、これぐらいのささやかな困難はささいに克服できる。雪の降る北海道旭川は、今のところいちばんの愉快な体験と経歴になっている。
書き込みがおわると、雪がやんだ。部屋に戻ってシャワー。天気予報を見ると、明朝の旭川はまたも雪らしい。僕も1時間半くらい日中の旭川の通りを歩ける時間があるだろう。風呂から出ると快適だ。旅行記に最新の大雪遭遇情報を付け足す。こんなすばらしい経験ははじめてだ。「世説新語」の「喩雪」のなかに謝太傅寒雪日内集,與兒女講論文義。俄而雪驟,公欣然曰:「白雪紛紛何所似?」兄子胡兒曰:「撒鹽空中差可擬。」兄女曰:「未若柳絮因風起。」公大笑樂。とあるのを思い出した。今日、大雪に出くわしたシーンを、言いえて妙だ。
2007.12.18 生まれてはじめて大雪飛び交う光景を見た。体に雪が当たる味わいを体験した。それは北海道第二の大都市旭川だった。時間は21時5分だった。