徒歩旅行氏の詳細な旅行記を読解することを試みるブログ
原文
2007/12/17遊記--根室、日本極東點納紗布岬、釧路
http://www.wayfarer.idv.tw/Japan/Japan2007/1217.htm
北海道最初の朝は予定時刻に起きた。歯を磨き、顔を洗って、パッキングしてから下へ食事しにゆく。東横INNの無料の朝食はやはりおむすびだった。変えて欲しいけど、でもシンプルなロビースペースなんだからおむすびぐらいでちょうどいいのだろう。たいして重要な問題でもないし。朝食にもっと変化をつけて欲しいとは思うけど、でも熱いお茶が飲める朝食は、旅行に必要な快適な安らぎをもたらしてくれる。
食べ終わって、荷物を持ってチェックアウト。駅へ向かう。指定席を予約し、1時間ほど時間があく。そこで荷物を預け、近くの道をぶらつく。まだ足跡の無い雪の積もった道。銀色の世界。すべての道、その遠くまで、すべては雪でおおわれていた。テレビでしか見ることができなかったこの景色が、今ではそこかしこがそうだ。気温は寒いけど、でも僕の前進を阻止するほどではなかった。路上は凍って滑りやすかったし、こまかい雪も積もっていた。僕は雪が積もってるところをわざと歩いた。べつに大げさなことではない。だって雪を踏み歩く感じがとても素晴らしかったからだ。
緑丘公園に着いた。ここもすべてが白い雪でおおわれていた。広い敷地だ。どれほど広いかわからない。一面雪におおわれたこのような景色が好きだ。美しい。目に優しい。僕が北海道に来た目的と一致する。何枚か写真を撮った。とりたてていく場所もないので、来たときとは別の側の道を通って駅へ戻った。帯広の道路の名称は札幌と同じく東西南北でつけられているのがわかった。たとえば西6南16とか。とてもびっくりした。
9時5分駅に入る。荷物を取り、JRパスを使い、自動改札にいれる。やはりするっと通れた。でも切符に穴がひとつ開けられていた。どういうことだろう。これはいいことなのか。次に使うときは自動改札で回収されてしまうのではないか。夜、釧路についたとき、思い切って自動改札に入れてみたが、OKだった。問題なく切符はでてきた。友人よ、今度もしこういう機会があっても安心して使って欲しい。今日は月曜なので、窓側に座れたし、隣の席に客はいない。ちょっと疲れていたらしく、1時間ぐらいうたた寝した。日中なんだから外の景色を見ようとは思ってたのだけど、目が覚めたらもう釧路はすぐだった。車窓をみる。失望したことに快晴だ。雪も降らなさそうだ。心配になってきた。このあと数日間、ほかの場所でも雪にならないんじゃないかと。
釧路駅に着いた。根室行きの列車を見つけた。うまい具合に同じホームだ。乗り換え時間は10分ある。僕はまた湿原の鐘をを思い出した。2003年にこの鐘を叩いたのだ。写真を撮っておきたい。やはりまだあった。ほとんど何も変わっていない。まるで古馴染みのような感じがした。でも今回は叩こうとは思わなかった。鐘の写真を撮って根室行きの列車の写真を撮った。一両編成。乗車率は半分もない。沿線人口が少ないに違いない。明治初期の北海道開拓史にあって根室は北海道3県のひとつであったことは想像しがたい(明治15年に札幌、函館、根室の三県が設けられたが、1886年廃止。北海道は正式な一級行政区となった)。
この列車は快速列車とはいえ、でも帰りに乗った普通列車と比べてもたった10分速いだけにすぎない。車窓をずっと見てたが、悪くは無いが、どのみち田野山林なので、雪が見たい気分からすると失望である。2時間7分の行程だが快適な列車だったので、長さを感じることは無かった。根室駅に着いた。7分間で納沙布岬にゆくバス停を探さないといけない。まず駅周辺をあたらねばならない。駅を出ると、やはりネット友人が言ったようにバス停はJR根室駅の左前方にあった。時間がせまる。バス停にゆき、旅行計画表の納沙布岬を見せながら切符売りの女性にたずねた。(あとでわかったが、日本語の漢字でも納沙布岬は同じだった)コミュニケーションに不都合はなく、順調に往復切符を買えたし、時刻表もくれた。バスの本数は多くないので、時刻表がなければ乗り過ごして惨めなことになっていただろう。時刻表を見て、時計をみる。13時15分のに乗れるか。急ぎ足で1番乗り場にゆくと、ちょうどバスが来た。あわてて乗った。
このバスも整理券方式だ。あとでわかったが、片道1160円往復2320円かかる。往復切符は1880円だからおよそ2割引きだ。だからもし納沙布岬に行くのであれば、往復切符を買うのが賢明だろう。バスが市内を通ってるときは車内に7,8人の乗客がいたが、市街をでると僕ともうひとりの男性だけになった。その後も納沙布岬にいたのは僕と彼だけだった。
岬のあたりはたいして広い場所ではないことはあらかじめわかっていたが、しかし単調だ。見るのに一時間もかからない。そこで僕はゆっくり散歩することにした。時刻は2時ごろ、太陽の光はちょうど正面だ。だから写真を撮ろうとすると僕の影が入ってしまうのが面倒だ。絵が壊れる。なんとかして工夫して影が映りこむのを避ける。日本の北方四島は第二次大戦後にロシアによって占領された。北方領土は道東の根室に近い。納沙布岬には北方四島帰還のスローガンがとても多い。有名な四島のかけ橋というランドマークもある。そのほかには標語や碑文など。僕はそれらをほしいままに撮る。どうせここまで来るのに結構な時間と金がかかったのだし、ほかに特殊な風景もないのだから、これらを記念に撮るしかないじゃないか。幸運にも、地形を利用して木製の納沙布岬の碑と一緒に自分を撮る事ができ、記録的な写真を残せた。来た甲斐があったというものだ。
請望苑という店にはいった。納沙布岬の碑に近いところにある。最東端到達証明書を発行している。絵葉書500円。高いが旅の記念として買う。この店の金儲けの知恵は、強制的でもないので、褒められるべきだろう。
店をでる。時間はまだ40分もある。納沙布岬灯台へ。みたところもう廃止されてるようだ。説明版によればこの灯台は北海道最初の灯台で、北海道の開拓史における神秘の過去でもあった。店から灯台までは遠くなく、ゆっくり歩いても10分でつく。たいして見るべきものではないが、でも歴史的に見るならば、来てもいいだろう。店でたまたまこの灯台のことを知ったので行けたが、もしあとで知ったとしたら残念に思っただろう。灯台を見れていささか満足である。
四周は海。特別なものは無い。すぐに戻る。平日でメシ時でもないからだろう、いくつか見かけたカニ美食の店はみなしまっていた。これらの店は共通して入り口に大きなカニの看板がある。日本最東端の店とか書いてあるのもある。面白いことに公衆トイレすら本土最東端のトイレをうたい、マークもカニの図案だった。カニは北海道の美食の中で確かに誇らしさに値するものらしい。というわけで、別に用はなかったがトイレにいって、ちょろっと出してきた。なんとなくすまない気がして。
時間も着たのでバス停で待つ。このときの気温0度。行きのバスで一緒だった男性はほとんどあたりをぶらつかずに、すでにバス待ちをしていた。会話はない。でも彼がバス待ちをしている光景を撮った。バスが来たので写真を撮った。同じバスだった。僕はまた同じ席に座った。そうすれば逆側の風景が見れる。市内に入ると、客が乗ってきた。駅についてまたもう一枚撮った。こうして納沙布岬の旅は終わった。
それから根室駅周辺をスポットを少し撮る。このとき15時40分。まだ昼飯は食べてないが我慢する。すでに改札に入ったのでいい席が取れなくなるのが怖い。駅内を少々撮ってホームにすすむ。ホームにも何か撮るべきものがあるんじゃないかという予感がしていたが、やはりあった。日本最東端の有人駅の碑が。よし。これでまた記録写真が一枚増えた。
列車に乗るとほどなくして眠った。どうせ空はもう暗いので風景は見えない。しかも腹が減って特に疲れてる。と、ここまで書いて突然思った。腹が減っても見て回るなんて一人旅ならではだろう。道連れがいればそんな羽目にはならない。ずいぶん眠ったと思ったが、目が覚めて時計を見るとまだ16時47分。釧路まで半分もきてない。つづけて眠る。もう眠れなくなるまで寝て、ぼけっとする。時間を見る。17時58分。あと19分で釧路だ。お腹がすきすぎてもう耐えられない。
釧路についてまずトイレにいった。それから食べるところを探した。もう店じまいしてるじゃないか。このとき18時20分。あまりに早すぎないか。営業時間をみると18時半まで。それじゃしかたない。駅を出る。駅の外観を撮る。2つのライトが次々とつくイルミネーションが、広場と駅ホールに少なからぬ美観を添えている。それから緑の窓口にいって、明日の網走までの切符を予約する。でも職員は予約させない。なんでだかわからない。さらにやりとりをする。やっとわかった。もとから網走までの快速列車には指定席はなかったのだ。このことからいえること。何かを伝えたいだけなら、言葉ができなくても、コミュニケーションはとれる。肝っ玉が大きければなおいい。やりかたはいろいろある。僕らは時刻表を見せながらコミュニケーションをはかる。列車には快速と書いてある。もちろんまず先に知っておかないといけないのは、JRパスで指定をとれるのは、指定席のある特急や新幹線などだけである。これは事前に下調べしておくことだ。
それからホテルを探しにゆく。東横INNの看板は駅からもみえた。旅行者が宿探しをするときの心持ちはみんなもよくわかるだろう。路上を歩くとやはり寒い。数日後に札幌のホテルでテレビを見ていたとき、この一週間で北海道でいちばん寒かったのは帯広で、次が釧路だったのを知った。北大通りは2003年の夏に歩いたことがあったし、そのまま同じくぬさまい橋をゆく。チェックイン後は特にどうってことなかった。でも研修生の名札をつけたのが一人いた。おそらく実習中なんだろう。ういういしい。例のごとく靴下のプレゼントがあった。靴下を2枚重ね履きすれば寒さに耐えられよう。今回は9階だった。おそらく値段が500円高いせいなのは、高いビルだからだろう。
部屋に入るとまずエアコンを28度に設定した。荷物を置いて食事を取りに下へ。前の帯広の経験によれば東横INNは夕食を提供している。でもフリーかはしらない。ちょっとびくびくしたが、もうけた。おかわりできるわけではなく、一皿のみである。まあわるくないカレーだった。きれいにたいらげた。それからスタミナドリンクを飲んだ。50円と10円の小銭で100円ぶんいれたが出てこない。別の日本人がためしてみると、今度はでてきた。彼はそれを僕にくれた。僕はもちろん受け取らなかった。だってそれは彼の金で買ったものだから。話してみても彼が何を言ってるのかききとれない。でもあとになって思いついた。こう言っていたのだろう。彼はそのスタミナドリンクは飲まない、僕は彼に100円を渡すと。でもそのときは思い違いをしていた。彼が僕におごってくれたのかと思ったのだ。だから彼に恩を借りるのもバツがわるかったし、彼は変なヤツにあったとまごついたかもしれない。
飲み終わってホテルを出る。目標はぬさまい橋。4年前の記憶を懐かしみに。歩いてるうちにKFCを見つけた。ぬさまい橋の帰りに寄ろうと決めた。カレーだけでは腹が持たない。ぬさまい橋についた。なにも変わってないように感じた。でも夏と冬の気温差は大きかった。フィッシャーマンズワーフでなんかやってるのかと期待した。2003年はそれを知らなかったので残念だったのだ。でもやってなかった。がっかり。春夏秋冬の女神像はいまだあった。エッグモールもほとんど変わってないように思えた。変わったのは同じ旅行者の年が4つ増えたということだ。4年前の夏の日にここに来た僕は、まさか4年後にまたココに来るとは絶対に思いつかなかっただろう。もうここには一生来ることはないだろうと、そのときは思っただろう。世の中はいろいろある。それが人生さ。
4年前に歩いたところを気ままに歩きながら、なんともいえない感情がこみあげる。思いのままにまかせる。旅行記を書く僕は、2003年のぬさまい橋の足跡を再復習するのは簡単だけど、でも心情というこの抽象的な境地は前と比較できない。つめたい寒風、マイナス1度のぬさまい橋はぼくに教えてくれた。景色はそのままだけど、歳月だけは飛ぶように過ぎ去っていったことを。僕は帰途に着いた。
東横INNへもどるとき、KFCをさがした。見過ごしてしまったらしい。でもあきらめずに、路地へはいりこむ。路地の途中でやっと見つけた。本当に路地だ。しかも橋から近い。710円だしてフライドチキン3つとポテト。ホテルで食べる。それから安らぎの夜の時間。このとき20時。部屋は暖かく、寒さは感じない。でも今日のテレビはつまらない。天気予報だけ見た。降雪に遭遇できるかが、僕の一番の関心事だから。熱いお茶を飲んで、旅行記を書いて、一階の自販機でスポーツドリンクを買って電解質を補給する。これが旅行のさなかにあって眠る前のリラックスした時間だ。ぼくはこの感じが好きだ。
2007/12/17遊記--根室、日本極東點納紗布岬、釧路
http://www.wayfarer.idv.tw/Japan/Japan2007/1217.htm
北海道最初の朝は予定時刻に起きた。歯を磨き、顔を洗って、パッキングしてから下へ食事しにゆく。東横INNの無料の朝食はやはりおむすびだった。変えて欲しいけど、でもシンプルなロビースペースなんだからおむすびぐらいでちょうどいいのだろう。たいして重要な問題でもないし。朝食にもっと変化をつけて欲しいとは思うけど、でも熱いお茶が飲める朝食は、旅行に必要な快適な安らぎをもたらしてくれる。
食べ終わって、荷物を持ってチェックアウト。駅へ向かう。指定席を予約し、1時間ほど時間があく。そこで荷物を預け、近くの道をぶらつく。まだ足跡の無い雪の積もった道。銀色の世界。すべての道、その遠くまで、すべては雪でおおわれていた。テレビでしか見ることができなかったこの景色が、今ではそこかしこがそうだ。気温は寒いけど、でも僕の前進を阻止するほどではなかった。路上は凍って滑りやすかったし、こまかい雪も積もっていた。僕は雪が積もってるところをわざと歩いた。べつに大げさなことではない。だって雪を踏み歩く感じがとても素晴らしかったからだ。
緑丘公園に着いた。ここもすべてが白い雪でおおわれていた。広い敷地だ。どれほど広いかわからない。一面雪におおわれたこのような景色が好きだ。美しい。目に優しい。僕が北海道に来た目的と一致する。何枚か写真を撮った。とりたてていく場所もないので、来たときとは別の側の道を通って駅へ戻った。帯広の道路の名称は札幌と同じく東西南北でつけられているのがわかった。たとえば西6南16とか。とてもびっくりした。
9時5分駅に入る。荷物を取り、JRパスを使い、自動改札にいれる。やはりするっと通れた。でも切符に穴がひとつ開けられていた。どういうことだろう。これはいいことなのか。次に使うときは自動改札で回収されてしまうのではないか。夜、釧路についたとき、思い切って自動改札に入れてみたが、OKだった。問題なく切符はでてきた。友人よ、今度もしこういう機会があっても安心して使って欲しい。今日は月曜なので、窓側に座れたし、隣の席に客はいない。ちょっと疲れていたらしく、1時間ぐらいうたた寝した。日中なんだから外の景色を見ようとは思ってたのだけど、目が覚めたらもう釧路はすぐだった。車窓をみる。失望したことに快晴だ。雪も降らなさそうだ。心配になってきた。このあと数日間、ほかの場所でも雪にならないんじゃないかと。
釧路駅に着いた。根室行きの列車を見つけた。うまい具合に同じホームだ。乗り換え時間は10分ある。僕はまた湿原の鐘をを思い出した。2003年にこの鐘を叩いたのだ。写真を撮っておきたい。やはりまだあった。ほとんど何も変わっていない。まるで古馴染みのような感じがした。でも今回は叩こうとは思わなかった。鐘の写真を撮って根室行きの列車の写真を撮った。一両編成。乗車率は半分もない。沿線人口が少ないに違いない。明治初期の北海道開拓史にあって根室は北海道3県のひとつであったことは想像しがたい(明治15年に札幌、函館、根室の三県が設けられたが、1886年廃止。北海道は正式な一級行政区となった)。
この列車は快速列車とはいえ、でも帰りに乗った普通列車と比べてもたった10分速いだけにすぎない。車窓をずっと見てたが、悪くは無いが、どのみち田野山林なので、雪が見たい気分からすると失望である。2時間7分の行程だが快適な列車だったので、長さを感じることは無かった。根室駅に着いた。7分間で納沙布岬にゆくバス停を探さないといけない。まず駅周辺をあたらねばならない。駅を出ると、やはりネット友人が言ったようにバス停はJR根室駅の左前方にあった。時間がせまる。バス停にゆき、旅行計画表の納沙布岬を見せながら切符売りの女性にたずねた。(あとでわかったが、日本語の漢字でも納沙布岬は同じだった)コミュニケーションに不都合はなく、順調に往復切符を買えたし、時刻表もくれた。バスの本数は多くないので、時刻表がなければ乗り過ごして惨めなことになっていただろう。時刻表を見て、時計をみる。13時15分のに乗れるか。急ぎ足で1番乗り場にゆくと、ちょうどバスが来た。あわてて乗った。
このバスも整理券方式だ。あとでわかったが、片道1160円往復2320円かかる。往復切符は1880円だからおよそ2割引きだ。だからもし納沙布岬に行くのであれば、往復切符を買うのが賢明だろう。バスが市内を通ってるときは車内に7,8人の乗客がいたが、市街をでると僕ともうひとりの男性だけになった。その後も納沙布岬にいたのは僕と彼だけだった。
岬のあたりはたいして広い場所ではないことはあらかじめわかっていたが、しかし単調だ。見るのに一時間もかからない。そこで僕はゆっくり散歩することにした。時刻は2時ごろ、太陽の光はちょうど正面だ。だから写真を撮ろうとすると僕の影が入ってしまうのが面倒だ。絵が壊れる。なんとかして工夫して影が映りこむのを避ける。日本の北方四島は第二次大戦後にロシアによって占領された。北方領土は道東の根室に近い。納沙布岬には北方四島帰還のスローガンがとても多い。有名な四島のかけ橋というランドマークもある。そのほかには標語や碑文など。僕はそれらをほしいままに撮る。どうせここまで来るのに結構な時間と金がかかったのだし、ほかに特殊な風景もないのだから、これらを記念に撮るしかないじゃないか。幸運にも、地形を利用して木製の納沙布岬の碑と一緒に自分を撮る事ができ、記録的な写真を残せた。来た甲斐があったというものだ。
請望苑という店にはいった。納沙布岬の碑に近いところにある。最東端到達証明書を発行している。絵葉書500円。高いが旅の記念として買う。この店の金儲けの知恵は、強制的でもないので、褒められるべきだろう。
店をでる。時間はまだ40分もある。納沙布岬灯台へ。みたところもう廃止されてるようだ。説明版によればこの灯台は北海道最初の灯台で、北海道の開拓史における神秘の過去でもあった。店から灯台までは遠くなく、ゆっくり歩いても10分でつく。たいして見るべきものではないが、でも歴史的に見るならば、来てもいいだろう。店でたまたまこの灯台のことを知ったので行けたが、もしあとで知ったとしたら残念に思っただろう。灯台を見れていささか満足である。
四周は海。特別なものは無い。すぐに戻る。平日でメシ時でもないからだろう、いくつか見かけたカニ美食の店はみなしまっていた。これらの店は共通して入り口に大きなカニの看板がある。日本最東端の店とか書いてあるのもある。面白いことに公衆トイレすら本土最東端のトイレをうたい、マークもカニの図案だった。カニは北海道の美食の中で確かに誇らしさに値するものらしい。というわけで、別に用はなかったがトイレにいって、ちょろっと出してきた。なんとなくすまない気がして。
時間も着たのでバス停で待つ。このときの気温0度。行きのバスで一緒だった男性はほとんどあたりをぶらつかずに、すでにバス待ちをしていた。会話はない。でも彼がバス待ちをしている光景を撮った。バスが来たので写真を撮った。同じバスだった。僕はまた同じ席に座った。そうすれば逆側の風景が見れる。市内に入ると、客が乗ってきた。駅についてまたもう一枚撮った。こうして納沙布岬の旅は終わった。
それから根室駅周辺をスポットを少し撮る。このとき15時40分。まだ昼飯は食べてないが我慢する。すでに改札に入ったのでいい席が取れなくなるのが怖い。駅内を少々撮ってホームにすすむ。ホームにも何か撮るべきものがあるんじゃないかという予感がしていたが、やはりあった。日本最東端の有人駅の碑が。よし。これでまた記録写真が一枚増えた。
列車に乗るとほどなくして眠った。どうせ空はもう暗いので風景は見えない。しかも腹が減って特に疲れてる。と、ここまで書いて突然思った。腹が減っても見て回るなんて一人旅ならではだろう。道連れがいればそんな羽目にはならない。ずいぶん眠ったと思ったが、目が覚めて時計を見るとまだ16時47分。釧路まで半分もきてない。つづけて眠る。もう眠れなくなるまで寝て、ぼけっとする。時間を見る。17時58分。あと19分で釧路だ。お腹がすきすぎてもう耐えられない。
釧路についてまずトイレにいった。それから食べるところを探した。もう店じまいしてるじゃないか。このとき18時20分。あまりに早すぎないか。営業時間をみると18時半まで。それじゃしかたない。駅を出る。駅の外観を撮る。2つのライトが次々とつくイルミネーションが、広場と駅ホールに少なからぬ美観を添えている。それから緑の窓口にいって、明日の網走までの切符を予約する。でも職員は予約させない。なんでだかわからない。さらにやりとりをする。やっとわかった。もとから網走までの快速列車には指定席はなかったのだ。このことからいえること。何かを伝えたいだけなら、言葉ができなくても、コミュニケーションはとれる。肝っ玉が大きければなおいい。やりかたはいろいろある。僕らは時刻表を見せながらコミュニケーションをはかる。列車には快速と書いてある。もちろんまず先に知っておかないといけないのは、JRパスで指定をとれるのは、指定席のある特急や新幹線などだけである。これは事前に下調べしておくことだ。
それからホテルを探しにゆく。東横INNの看板は駅からもみえた。旅行者が宿探しをするときの心持ちはみんなもよくわかるだろう。路上を歩くとやはり寒い。数日後に札幌のホテルでテレビを見ていたとき、この一週間で北海道でいちばん寒かったのは帯広で、次が釧路だったのを知った。北大通りは2003年の夏に歩いたことがあったし、そのまま同じくぬさまい橋をゆく。チェックイン後は特にどうってことなかった。でも研修生の名札をつけたのが一人いた。おそらく実習中なんだろう。ういういしい。例のごとく靴下のプレゼントがあった。靴下を2枚重ね履きすれば寒さに耐えられよう。今回は9階だった。おそらく値段が500円高いせいなのは、高いビルだからだろう。
部屋に入るとまずエアコンを28度に設定した。荷物を置いて食事を取りに下へ。前の帯広の経験によれば東横INNは夕食を提供している。でもフリーかはしらない。ちょっとびくびくしたが、もうけた。おかわりできるわけではなく、一皿のみである。まあわるくないカレーだった。きれいにたいらげた。それからスタミナドリンクを飲んだ。50円と10円の小銭で100円ぶんいれたが出てこない。別の日本人がためしてみると、今度はでてきた。彼はそれを僕にくれた。僕はもちろん受け取らなかった。だってそれは彼の金で買ったものだから。話してみても彼が何を言ってるのかききとれない。でもあとになって思いついた。こう言っていたのだろう。彼はそのスタミナドリンクは飲まない、僕は彼に100円を渡すと。でもそのときは思い違いをしていた。彼が僕におごってくれたのかと思ったのだ。だから彼に恩を借りるのもバツがわるかったし、彼は変なヤツにあったとまごついたかもしれない。
飲み終わってホテルを出る。目標はぬさまい橋。4年前の記憶を懐かしみに。歩いてるうちにKFCを見つけた。ぬさまい橋の帰りに寄ろうと決めた。カレーだけでは腹が持たない。ぬさまい橋についた。なにも変わってないように感じた。でも夏と冬の気温差は大きかった。フィッシャーマンズワーフでなんかやってるのかと期待した。2003年はそれを知らなかったので残念だったのだ。でもやってなかった。がっかり。春夏秋冬の女神像はいまだあった。エッグモールもほとんど変わってないように思えた。変わったのは同じ旅行者の年が4つ増えたということだ。4年前の夏の日にここに来た僕は、まさか4年後にまたココに来るとは絶対に思いつかなかっただろう。もうここには一生来ることはないだろうと、そのときは思っただろう。世の中はいろいろある。それが人生さ。
4年前に歩いたところを気ままに歩きながら、なんともいえない感情がこみあげる。思いのままにまかせる。旅行記を書く僕は、2003年のぬさまい橋の足跡を再復習するのは簡単だけど、でも心情というこの抽象的な境地は前と比較できない。つめたい寒風、マイナス1度のぬさまい橋はぼくに教えてくれた。景色はそのままだけど、歳月だけは飛ぶように過ぎ去っていったことを。僕は帰途に着いた。
東横INNへもどるとき、KFCをさがした。見過ごしてしまったらしい。でもあきらめずに、路地へはいりこむ。路地の途中でやっと見つけた。本当に路地だ。しかも橋から近い。710円だしてフライドチキン3つとポテト。ホテルで食べる。それから安らぎの夜の時間。このとき20時。部屋は暖かく、寒さは感じない。でも今日のテレビはつまらない。天気予報だけ見た。降雪に遭遇できるかが、僕の一番の関心事だから。熱いお茶を飲んで、旅行記を書いて、一階の自販機でスポーツドリンクを買って電解質を補給する。これが旅行のさなかにあって眠る前のリラックスした時間だ。ぼくはこの感じが好きだ。
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